高橋和巳
昨年は高橋和巳の生誕80周年、没後40周年。
ある時期熱狂的に支持されていた彼の著作を、今は手にする若者も減ってしまったのだろうか。ほぼ同世代ながら、センセーショナルな生き方をした三島由紀夫が一昨年没後40周年だったのと比較して、高橋和巳が人々の話題に上がることはほとんどなかったように思う。
まるで熱病にうなされたかのように高橋和巳の著作をむさぼり読んでいた時期があった。
彼の本を手にするきっかけを作ってくれたのは浪人時代通っていた予備校で現国を教えていたH先生。理系にしては珍しく2次試験で現国があったのでずっと授業を受講していたのだが、先生曰く、現代小説の最高峰が高橋和巳の処女作『悲の器』だということだった。
そこまで言われるものを書く作家であればいずれじっくりと読んでみようと受験勉強のさなかに思い、大学の門をくぐるとすぐに図書館で片っ端から彼の全集を読み始めた。
「苦悩教の教祖」などと言われた彼の作品は、誤解を恐れずに単純化すれば「左翼的知識人の下降(挫折、破滅と堕落)意識」を常に主題としている。おそらく当時であっても相当に重い内容でポピュラリティを得ていたとは思い難い。その頃は「右か左か?」と聞かれれば「あえてどちらかというのであれば左」と答えただろうし、「知識人」でありたいという気持ちを漠然と持っていたから、彼のテーマにはある種の憧れにも似た気持ちを抱きつつ共感する部分があった。
高橋和巳が病に倒れてこの世を去ったのが39歳。
彼が生前向き合っていたものに、その年齢をかなり前に越えてしまった自分はどう接しているのだろうかという思いが、時折頭の中を今でもよぎる。