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April 17, 2006

●Larry Coryell: Tributaries

LarryCoryell_tributaries.jpg

Larry Coryell (g)
Joe Beck (g)
John Scofield (g)

 ジェフ・ベックの次に、思い切りはまったギタリストがラリー・コリエルである。ジャズ・ギターというとウエス・モンゴメリに代表されるようにアーチトップ・ギターを抱え、クリーンなトーンというのが一般的なイメージだった。そこにロックのイディオムを持ち込んだのがラリー・コリエルとジョン・マクラフリンだ。まだ、日本ではフュージョンとかクロスオーバーという言葉が耳馴染みない頃、FMラジオから聞こえてきた、ラリーの演奏は、ひずんだ音のギターが縦横無尽に駆け回るような、新鮮な響きだった。

 ディメオラが初来日した翌年、ライブ・アンダー・ザ・スカイでは、なんと「ラリー・コリエル&ジョン・マクラフリンナイト」というプログラムが用意された。前の年は、チケット発売日の昼休み、学校にある公衆電話(当時はもちろん携帯電話などなかった)から必死に駆け続けてようやくチケットを取ったが、席はスタンドの真ん中辺り。ステージは遥かかなただった。今年は絶対にいい席で見るぞ、と思い、母親を拝み倒して、チケット発売開始の10時に繋がるまで電話をかけ続けてもらった。その甲斐もあって、席はアリーナの前から2列目の中央。もう、この席のことを考えただけでも興奮してしまうほどだ。

 ライブが近づいても、この晩のプログラムには「出演者:ラリー・コリエル(g)、ジョン・マクラフリン(g)、クリスチャン・エスクーデ(g)」とあるだけ。会場はテニスコートスタジアム。「広いステージにギター3人だけ??!」、おまけに最後のクリスチャン・エスクーデは名前も聞いたことがない。不安と期待が入り混じりながら、夕方の田園調布駅から会場の田園コロシアムへの道のりを急いだ。
 最初は、ラリー・コリエルのソロ。ステージ中央に三つ並んだ椅子、オヴェイションのアダマス(ギターのモデル名)を持ったラリーが登場すると、その一つの座り、おもむろにギター一本での演奏が始まる。チック・コリアの『スペイン』やジョン・コルトレーンの『ジャイアント・ステップス』など、とてもソロではできないと思うような曲が次から次へと飛び出す。おまけに、目の前で演奏しているにもかかわらず、とても一本のギターから出ているとは信じられないような音数。ただただ、あっけにとられるだけだった。後で聞いた話しによると、渡辺香津美氏もこのライブを見に来ていて、あまりのすごさに一週間寝込んでしまうほどだったという。
 ライブは、その後、ジョンとクリスチャンのデュオ、3人でのアンサンブルと盛りだくさんの内容で、アコースティック・ギターのすばらしさを満喫して帰り道についた。

 さて、前置きが長くなったが、本作は、1979年の作品。ラリーは70年代中頃からスティーブ・カーンやフィリップ・キャサリーンなどと、アコースティック・ギターによるデュオアルバムを製作しているが、これもその路線の延長線上にある。アコースティック・ギター3本の演奏というと、ディメオラ、マクラフリンとフラメンコ・ギタリストのパコ・デ・ルシアによるスーパーギタートリオが有名(実は、一時期ディメオラではなくにラリーが入って三人で演奏していたこともある)だが、こちらは、ジャズ・フュージョン界で活躍していたジョー・ベックと、今やコンテンポラリースタイルのジャズ・ギターでは第一人者といってよいジョン・スコフィールドによる演奏。スーパーギタートリオがインプロビゼイション(アドリブ)中心に展開しているのに比べ、こちらは、きちんとアレンジをした印象が強く、アンサンブルもすばらしい。音の重ね方が、即興演奏では出てこないような緻密な構成になっているのだ。全体的に、ジャズ・ブルースともいえるスタイルで、思わずうなるほどのかっこよさ。ちなみに、ジョンはほとんどアコースティックでの演奏をおこなっておらず、このレコーディングでも、ギターがなかったためにラリーのものを借りたという。

 CDでは、もともとのTributariesに含まれていた7曲に、1978年のスイス・モントルー・ジャズ・フェスティバルでのライブ収録とスタジオ録音を交えた"European Impressions"(邦題『ヨーロッパの印象』)のB面の4曲を加えた11曲入り。Tributariesではオヴェイションのアダマスを、後半の録音では、オヴェイションのカスタム・レジェンドを弾いており、音がかなり違うのも興味深い。ちなみに”European Impressions"のA面に入っている曲は、ラリーとスティーブ・カーンの共演盤”Two For the Road"に収録されている。こちらも名盤なので、いずれ紹介したい。

 アダマスのネックが3本並んだジャケット写真は本当にかっこよかった。「いつかはアダマス」と、高校生の頃から思っていたものだった。それから10年ほどして、いい縁があって本物を持つことができたときの嬉しさといったらなかった。

コメント

ブログ開設おめでとうございます。

いつも大屋さんの「説明」の巧さに感心させられているのですが、やはり文章力もスゴイですね!楽しく拝見してます。
この辺のアルバム、僕もよく聴きました。
アコギを追求していくと、フィンガー系のものより、この手のものが国内では入手し易かったのですね。
確か、コリエルを交えたスーパーギタートリオ(+パコとジョン)で来日してる筈ですよね。
1980年くらいでしょうか。
雑誌で来日記事を見て、当時「長渕剛」が一番ギターが上手い、と思っていた私ですが「世界には色んなスゴイ人が居るんだな~」と思ったのを覚えています。
その3人のライヴ・ビデオ「ミーティング・オブ・ザ・スピリッツ」が最近、DVDで復刻されてましたね。

>けつのりさん
いらっしゃいませ。さっそくのコメントありがとうございます。
けつのりさんのブログも時折拝見させていただいています。暖かみのある写真がいいですね。

ラリー、ジョン、パコでのスーパー・ギター・トリオですが、同じ1980年の12月にこのメンバーで来日してライブを行い、パコは『カストロマリン』を日本で録音しています。このアルバムにはラリーとジョンも参加していますね。

『ミーティング・オブ・ザ・スピリッツ』はビデオで持っています。スーパー・ギター・トリオの演奏では唯一の映像でしたね。ただ、ライン音声だったので、特にラリーのギターの音が今ひとつなのが残念です。

70年代半ばにはウインダムヒル・レーベルも立ち上がっているので、アメリカでは、フィンガー系のギターもだんだんと台頭していたはずですが、当時中学~高校生の私には、知る由もありませんでした。

ラリーさん(なれなれしい…)と言えば、あの東京ブルーノートで「オオヤさんはどこですか?」を思い出しますね。
わたしとKenちゃんの出会いはラリーさんを仲介に始まったのでした。
(^.^;)

このアルバム、達人の若手ふたりに刺激されてか、ラリーさんの演奏としてもかなりいいものですよね。
「マザーズデイ」なんて泣かせます。

スーパーギタートリオの来日公演、見ましたよ。京都では「勤労会館」というマイナーなハコで公演がありました。
演奏はホットそのもので、今でも印象ははっきりと覚えています。きっちり演奏するパコとマクラフリンの左側で、ラフな感じで演奏するラリーさんでした。
その後、スーパーギタートリオにはビレリ・ラグレンが入ったりもしてましたね。

>Nozomiさん
いらっしゃいませ。

確か、大阪ブルーノートでの講演期間中にギターの調子が悪くて困っていたラリーさんを、Nozomiさんがリペアマンのところに連れて行ったことがきっかけでしたっけ。続く東京公演に「大屋という友人がライブを見に来る」とラリーさんに伝えてくれていたのは聞いていましたが、会場が暗くなり、ラリーさんがギターを持って登場して座るなり、「オオヤサンハ、ドコデスカ」と日本語で言ったのには本当にビックリしました。

このアルバムで私の一番のお気に入りトラックは、「サーマン・マンソン」。このタイトルは、レコーディングの直前に、当時、ヤンキースを引っ張っていた名捕手マンソンが、飛行機事故で亡くなったことを受けてつけられたものでした。

ビレリ・ラグレン、アル・ディメオラ、ラリー・コリエルでのスーパー・ギター・トリオの演奏はビデオ、DVDで見ることができますね。

そうそう、大阪ブルーノートで厚かましく話しかけたら「どうもギターのネックが反っているようだ。どこかいい修理店を知らないか」と頼まれたのでした。
翌日、仕事をサボってホテルに出かけたら「このギターだ」と言って渡されました。レコーディングやステージでメインで使用していたアダマスです。
そのうえ、偶然にも同じホテルに渡辺香津美さんも滞在されていて、当時のギターテクニシャン・小倉良男さん(今は山崎まさよし等のステージテクニシャンとして有名)といっしょにバレーアーツの工房に行ったのでした。
ネックの取り付け角度とトラスロッドをちょっと調整して「これは完全に直すためにはバラさないとダメ」ということで応急処置をされたのでした。
「修理痕があるが、ものすごく雑な処理で、いかにもアメリカ人の修理らしい」という感想も聞きました。

当時、愛娘アレグラちゃんが4歳だったかで、写真を携帯されていたのがほほえましかった。今はアレグラちゃんも20歳ぐらいかな。

>Nozomiさん
いらっしゃいませ。
いやはや、なんとも面白い縁ですよね。当時、会社勤めをしていた私は、昨日の今日で急に休みを取ってラリーさんの面倒を見ることができたNozomiさんに驚きました。

東京ブルーノートでは、ライブ後に楽屋に行かせてもらいましたが、すでにラリーさんはかなりへべれけに酔っていて、受け答えもあいまいなまま。それでも、4冊ほど持っていった楽譜集すべてに、丁寧にサインをしてくれました。

アダマスは結構作りも雑で、手持ちのものは一度、都内の有名なリペアマンに調整してもらってから、かなり状態がよくなった想い出があります。もちろん、その頃は自分でギターを作るなどとは夢にも思っていませんでした。

お邪魔します。極々私的な話をさせてください。もう28年も前の1978年10月30日、東京は芝郵便貯金ホールにて、ラリー・コリエル&ジョー・ベックのコンサートがありました。1階席は1/3弱の入り、あまりの惨状に見かねた主催者が2階席のお客さんを全員1階に招き入れました。それでも半分も埋まらない会場で、ラリーとジョーの熱いバトルが繰り広げられ、当時高校生だった私は、4日前に観たラリー・カールトンの興奮もどこへやら。ただただ「この手よ、ちぎれてしまえ」とばかりに、一心不乱に拍手をしていたことを、昨日のことのように鮮やかに思い出します。そして、2回のアンコール終了後、会場が明るくなり「本日の公演は以上で・・・」のアナウンスが鳴っても、誰一人席を立とうとせず、そのまま15分ものアンコールに主催者も根負けしたか、再び暗転、3度目のアンコールが始まったのでした。
ラリーとジョーには、この時以来あたまが上がりません。

>ヒー坊さん
いらっしゃいませ。
コメントありがとうございます。紹介しているアルバムはアーティストに関するものや、それから思い出すエピソードなどは大歓迎です。また、気になるものがありましたら、ぜひともコメントをご投稿ください。

78年のラリー・コリエルがジョー・ベックと来日していたとは知りませんでした。貴重な情報をありがとうございます。この面子だと、全編アコースティックの演奏だったのでしょうか?

ラリー・コリエルは有名ではあるものの、マニア好みという印象が強いし、ジョー・ベックにいたっては、知名度はかなり低かったはずです。でも、このアルバムの演奏を聴けば、キット当時のライブがいかにいいものだったかが思い浮かびます。

高校生の頃(私は1962年生まれなのでほぼ同年代かと思います)は、コンサート代はかなり大きかったので、「一瞬たりとも見逃すものかぁ!!」と食い入るようにみていましたね。それに比べると、最近はリラックスして聴き過ぎなのかもしれません・・・。

ヒー坊さんのコメントが重複していたので、片方を削除させていただきました。

こんにちわ、こんばんわ。
お察しのとおり、小生も1962年生まれで、大家様と聴いていたものが被っているものもありますが、メインはヘビメタでサブが美空ひばり、クラシックはノーサンキューの質(たち)でして、基本的にはうるさいエレキ音を好みます。18歳まで東京にいましたので、コンサートについては地の利がありました。チケットは全て事務所の直接購入。ラリーとジョーもバッチリ最前列で拝聴しました。この時はベース(失念)ドラム(ムザーン)の4人で、後半はイレブンス・ハウスの曲もやってくれました。
ところで、ジスモンティ(昔はギスモンティと表記)のアルバムを紹介されていますが、彼のコンサートについても一家言ございます。
1979年3月5日、中野サンプラザにおいて「ECM Presents」と銘打たれたコンサートがあり、パット・メセニーとギスモンティとジョン・アバークロンビー(出演順)がステージを務めたのでした。(司会は行田さん)
ロック命の私はコリエルまでは知っていましたが、高校生の当時この3人はほとんど知らず、それでもギター好きというだけで出かけたのです(やっぱり最前列!)。そして私だけでなく、会場の全ての人がギスモンティにぶっ飛びました。8弦と10弦のギターも凄かったけど、何よりもピアノのダイナミズムに圧倒されました。パットやジョンよりもアンコールの長かったこと長かったこと。
そして近年、加古なんとかさんというピアニストが、このギスモンティの奏法に似た弾き方をしているのを聴くと、なんとも悲しくなるのです。(長くなってすみません)

>ヒー坊さま
いらっしゃいませ。
メインであげられているもの以外でもいろいろとお聞きなのがいいですね。

たしかに当時はECMアーティストのコンサートがあったように記憶していますが、その頃はジスモンティという名前はまったく知りませんでした。
今では考えられないような組み合わせのコンサートですよね。

ジスモンティはギターを弾いても、ピアノを弾いても、音と一緒にその周りの空気の動きまで支配しているようなすごさを感じます。

いいものはいい、物まねは所詮物まねなのでしょうね。

大家様
ごぶさたです。コリエル馬鹿のヒー坊です。
あらためて大家様の文章を拝読していて、私は肝心なことを言い忘れていたことに気づきました。その田園コロシアムの大家様より前の方の席「1階A列53番」に、わたしめは座っておりました。最前列主義に徹していた時代のいい思い出です。
ところで私事ですが、最近「体験的ロック馬鹿一代」と銘打って、原稿用紙320枚ほどの雑文を脱稿いたしました。もし宜しければ、大家様にもお目を通していただきたく、気がむいたらメールででもご一報ください。早速お送りいたしますので。
ではまた。

>ヒー坊さん
いらっしゃいませ。
そうですか、最前列にいらしたとは。ひょっとすると私の視界に後姿が入っていたのかもしれませんね。

ステージ間近の席に座ったことはあまりありませんでしたが、この年のライブ・アンダー・ザ・スカイ以外では、『American Odyssey』を出したときに、ラリー・コリエルが東京のサントリー・ホールでPAを通さずに演奏したときくらいです。あまりはっきりと覚えていませんが、確か最前列か2列目くらいに座ったような気がします。

やはり、前の席で見ると臨場感が違いますね。

原稿用紙320枚とは大作ですね。機会があれば拝見させていただければと思います。

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