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May 02, 2006

●John Williams: From The Jungles of Paraguay

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John Williams (g)

 クラシック・ギターを現在のような形まで引き上げた最大の功労者は、アンドレス・セゴビアである。それまでは、ギターは小さい空間でのみ演奏される楽器という認識しかなかったが、ギター製作者、作曲家たちに積極的に働きかけ、コンサートホールでの演奏に耐えうる楽器と、ギターの特性を生かしたレパートリーの拡大に、尽力したその功績は計り知れないものがある。同時に、後進の教育にも非常に熱心で、彼の元から数々の素晴らしいギタリストが誕生した。
 ジョン・ウィリアムズはオーストラリア生まれ。ジャズ・ギタリストの父親の影響もあり、幼い頃からギターを弾き始める。その後、イギリスのロンドンへ移り住み、14歳の頃にロンドンのコンウェイ・ホールで演奏しているのをセゴビアに認められ、ロンドンの王立音楽院で学ぶ一方、セゴビアの元でも研鑽を積んでいった。ジョンはセゴビアの教えを受け、もっとも成功した一人として知られることになるが、世界各地を演奏してまわるにつれ、クラシックの範疇にとどまらず、さまざまなジャンルの音楽エッセンスを吸収していく。厳格に自分の教えを受け継いでいくことをよしとしていたセゴビアとの間に、何らかの考え方の相違が生まれてきたとしてもおかしくは無い。事実、ジョンは、自分の技術の中で、師事してきたセゴビアをはじめとする指導者たちから学んだものの割合は、決して大きいものではないともいっている。

 クラシック・ギターへの計り知れない貢献をした一方で、セゴビアによって、長らく日の目を見ることができなかった面もある。本作は、パラグアイの作曲家アウグスティン・バリオスの作品集で、最近では『大聖堂』などは、クラシックのレパートリーとしてもポピュラーになってきている。しかし、セゴビアはバリオスの曲を「演奏するに足らぬつまらぬもの。彼の曲を演奏するくらいなら、他に弾くべき曲は山ほどある」と酷評していた。セゴビアがクラシック・ギター界の中心で力を振るっていた時代には、バリオスの曲を演奏するプレイヤーは数えるほどだったという。
 リリカルで、哀愁を帯びたバリオスのメロディ・ラインは、ナイロン弦の音色と相まって際立った美しさを見せる。ジョンの非常にシャープで輪郭のたった演奏は、バリオスの曲を演奏している録音の中でも、トップクラスの仕上がりだと思う。彼が愛用しているのは、オーストラリアのグレッグ・スモールマンという製作家のギター。通常のクラシック・ギターと比べて、表面版の補強の仕方がまったく異なるスモールマン・ギターは音の立ち上がり方が独特で、ジョンの演奏スタイルを特徴付ける要素として、今や欠かせぬものとなっている。

 ジョンは80年代には、ポピュラー音楽演奏にもかなり力を入れ、自らSKYというグループを結成する。こちらでは、ピックアップを内蔵したオヴェイションのナイロン弦モデルを使い、バンド編成での演奏をおこなっていた。この頃、クラシック・ギターの演奏をほとんど耳にしていなかった私だが、「クラシック・ギター界の貴公子がフュージョン音楽を演奏する!」といったようなキャッチコピーで宣伝していたことは覚えている。ただ、クラシックのファンからは、この時代については「非常に無駄な回り道をした」という厳しい声が多い。

 ジョンの演奏するナイロン弦ギターの音をポピュラーなものにしたのは、マイケル・チミノ監督の『ディアハンター』のメインテーマとして使われた、「カヴァティーナ」の演奏だろう。ナイロン弦ギターを手に入れたら、この曲を練習して弾けるようになりたいと思いながら、ずいぶんと長いことたってしまったが・・・。

コメント

全く先の読めないブログで、大変楽しませてもらってます。
ジョンのバリオスは僕も学生時代から愛聴してます。ジョンの演奏はギターの「撥弦感」が最も味わえるものだと思います。アグアド使用の時代から明快なタッチでしたが、やはりこの人はスモールマンとの相性が抜群ですね!

確かにクラッシック奏者は既成曲のみを弾いて(中にはセゴヴィアのレパートリーのみという人も!)活動してる人が多いですが、もっといろいろやってみればいいのに、とはいつも思います・・・。コンサートでのPAに反対する人も未だ多いですし。

セゴヴィアはたとえようもなく素晴らしいと思いますが、現在からみるとやはり音楽的には独特すぎて人にはとても真似できない世界観があります。次世代でジョンやブリームのようなアカデミックな演奏をする人が出てきて主流になる流れは自然だと思いますが、でもただ一人、日本の山下和仁のみはセゴヴィアのように真似できない強烈な世界を作り続けている奏者だと思います。

今ジョンのバリオスを久しぶりに聴いてますが、素晴らしいです!特に「フリア・フロリダ」は学生時代が一気にフィードバックします。

>伊藤賢一さん
いらっしゃいませ。

私のほうでも、その日に手にしたCDの中からよさそうなものを取り上げているので、この先、どのようになるのかまったくわかりません。
意外性もここの味だと思ってお楽しみいただければ幸いです。

ジョンはPA使用推進者ですが、コンサートに来てくれたすべての人に、ちょんと聞こえるようにすべきだという意見です。以前取り上げた、ファンホ・ドミンゲスなどもPAを使うことに抵抗は無いみたいですね。
生音でできればそれにこしたことは無いけれど、音はあくまでも表現している音楽の一部分であって、生で無いから、伝えたいものがまったくスポイルされるわけではないということなのだと思います。

質の高い演奏かどうかは重要ですが、どのようなレパートリーを取り上げるかは、あくまでも表現者たるプレイヤーが、自由に選ぶべきなのではないでしょうか。われわれ聴衆としても、今までに無い楽曲を聴くというのも、大きな楽しみです。

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