●鈴木 大介: どですかでん
大学時代に武満徹に傾倒してたY君が、「真っ先にこれを聴かなきゃ」といって薦めてくれたのは、『ノヴェンバー・ステップス』だった。ニューヨーク・フィルの指揮者だったレーナード・バーンスタインからの依頼されて作曲した交響曲で琵琶と尺八をオーケストラと組み合わせるという、独創的な曲であった。しかし、その曲を聴きながら、どうしても私には東洋的な部分が西洋のオーケストラに馴染んではおらず、強い緊張感が伝わってくるものに感じられ、正直なところあまり入り込んで聴くことができなかった。後になって、武満自身が書いた文章で、東洋の日本人である自分が西洋の音楽をやることに対するディレンマのようなものも吐露しているのを読んだとき、「あのときの感想はあながち見当違いでもなかったのでは・・・。」と思った。
どうしても難解な現代音楽の代表的な作曲家というイメージが強かった武満だが、実際は、ポピュラー音楽、ジャズを始め、歌謡曲や演歌など大衆音楽にも精通しており、仲間内での集まりなどでは、ビートルズの曲を口ずさむこともあったという。確かに、いろいろと調べてみると、映画音楽もあれば、谷川俊太郎などの詩を載せた曲を石川セリや小室等が歌っているものなどがあり、実に美しいメロディがスッと耳に入ってくる心地よさがある。
「ギターという楽器には限りない可能性があり、同時に限界もある。だからこそ僕はこの楽器に惹かれるんだ。」といっていた武満。ギターのための曲も数々と残している。本作は武満が「今までに聴いたことがないようなギタリスト」と称した鈴木大介が、あるときはソロ、あるときは異種格闘技ともいうべく渡辺香津美を迎えてのデュオ、またあるときはアルトフルートとの共演という、バラエティに富んだ構成となっている。きれいで印象的なメロディラインに対し、実に複雑に内声を動かしたり、複雑なハーモニーをのせたりと、武満徹の素晴らしさはポピュラーな楽曲でもあふれ出ている。同時に、演奏者の武満へのリスペクトが痛いほど伝わってもくる。
このアルバムの中で、重要な位置を占める作品が「ギターのための12の歌」である。初演は1977年で荘村清志によるものであった。誰もが耳にした事のあるメロディを、微妙な不協和音を交えたり、フレーズとフレーズの間に「間」をもたせたり、さまざまなギターの音色を使い分けたりと、編曲者としての武満徹のすごさをじっくりと聴くことができる。鈴木大介は『武満徹:ギター作品集成1961-1995』(右ジャケットの作品)でこの作品を初めて録音するが、収録時間の関係で、本来指示されているリピート部分などを省略せざるをえなかったという。そんなこともあり、より完全に近い形でこの作品を録音したいという気持ちから、本作に再び収録されるようになったといういきさつがある。
若いギタリストの台頭に大いに期待しつつも、武満は生前に鈴木の生演奏を聴くことはかなわなかった。しかし、病床に伏しながらも彼の演奏テープを繰り返し聴いていたという。この作品のギターを聴くと、離れた存在に感じていた武満徹の音楽が、グイグイと身近に引き寄せられる。
コメント
武満徹氏の音楽を正面切って聴いたのはこのアルバムがおそらく最初でした。
出だしからギターの音色にやられてしまった憶えがあります。久しぶりに聴いてみよう~。最近はここ見て引っ張り出して聴く事が多いです笑。
Posted by: いちろ | May 19, 2006 03:59 PM
>いちろさん
いらっしゃいませ。
鈴木大介はどんどんよくなっていますね。音楽的には『ギター作品集成』が録音された1997年ごろから、本作が製作された2000年という、ごくわずかの期間で、武満徹の音楽の消化の仕方がずいぶんと違っているのが面白いです。
それにしても、どんなCDを紹介しても、たいてい手元に音源を持っているいちろさんにはビックリです。ギター弾きなら、ギターものは当然かもしれませんが、ゲルニカにまでついて来た日にゃ、腰が抜けそうになりました。
Posted by: Ken | May 19, 2006 07:38 PM
そういうkenちゃんもたいがいでっせ笑。
Posted by: いちろ | May 19, 2006 09:12 PM
そんなこと、なかとです。
Posted by: Ken | May 19, 2006 11:26 PM