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June 25, 2006

●Toninho Horta: Durango Kid

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Toninho Horta (g, vo)

 トニーニョ・オルタを最初に見たときの印象は、心優しき巨漢というものだった。ジョイスのサポートで、前に出すぎず、かといって、しっかりとした存在感のあるギタープレイからは、歌い手をやさしく包み込むような力が感じられた。

 2度目に彼のライブを見たのは、ブラジル音楽演奏を聞かせるブラジルレストラン(確かサバス東京だったと思うが定かではない)での演奏。このときは、自身のグループを引き連れての演奏で、素晴らしいギター演奏と歌(ヴォイス)に魅了されてしまった。実は、こちらのライブでは、エレクトリックはヤマハのパシフィカ・シリーズのものを使用していたが、ガットギター(おそらくフラメンコモデルだったと思う)は、当時東京に工房を持っていた福岡氏のギターを使い始めたところだった。会場jに製作者が来ていて、ライブ途中で、トニーニョが「この素晴らしいギターを製作してくれた若き友人、福岡氏を紹介します」といっていたのを、今でもはっきりと覚えている。トニーニョは現在に至るまで、福岡ギターを愛用しているようである。
 このアルバムは、彼が福岡ギターに出会う前の作品なので、使用しているのは、コンデ・エルマノスというギターのようである。コンデは、フラメンコ・ギタリストのパコ・デ・ルシアの愛器としても知られている、スペインの有名な工房の作品である。

 トニーニョの素晴らしいところは、オリジナル、カバーを問わず、演奏する曲を完全に自分のものにしていることである。彼のアレンジによるギターと歌が始まると、周りの空気までもが柔らかいトニーニョの世界そのものであるかのように変わる。

 余談を一つ。私の年代にしては珍しいかもしれないが、これまでほとんどビートルズを聴かずに育ってきた。中学生ぐらいになり、洋楽を聴くようになったときには、ビートルズは時代遅れのような気がして手を伸ばさずにいて、結局そのままにしてしまったからだ。だから、有名な曲もほとんど知らない。このアルバムには「アクロス・ザ・ユニバース」という曲のカバーが収められている。いわずとしれた、レノン/マッカートニーという黄金コンビによる作品だ。恥ずかしながら、割合最近までこの曲はトニーニョのオリジナルだと信じて疑わなかった。あるとき、他の人のカバー演奏を聴いて、「やはり、トニーニョの曲でもメロディがきれいだから、誰かが歌詞をつけてカバーをしたんだ」と思い込んでいた。しかし、いろいろなところで、いろいろなアーティストがカバーしているのを耳にすると、さすがになんか変だなと感じて、調べてみたところ、ビートルズがオリジナルだということを初めて知った。
 一度、ちゃんとビートルズを聴かないといけないと思いつつも、まだ手を伸ばさずにいる。

 トニーニョの生まれたミナス(正式にはミナス・ジェライス州)はブラジルの中でも独特の音楽文化を持つ地域。トニーニョ以外にも、ミルトン・ナシメントをはじめとする、ミナスを代表するアーティストは数多い。パット・メセニーはトニーニョから多大な影響を受けたといっている。トニーニョは、1981年にメジャー・レーベルから初めてリリースしたアルバムでは、パットとの共演を果たしている。一方、パットはECMでの最後の作品『First Circle』(このアルバムをいずれ取り上げる予定)や、Geffenレーベルに移籍した後、『Still Life (talking)』から始まる、ワールドミュージック色の濃い作品群からは、明らかにブラジル音楽、おそらくはトニーニョから受けた影響が聞き取れる。

 プレイヤーズ・プレイヤーという称号がふさわしいトニーニョ。彼が音楽に向っている姿勢そのものは厳しいものだが、あふれ出てくる音には、人の気持ちを和らげる素敵なオーラに満ち溢れている。

June 18, 2006

●Pat Martino: Exit

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Pat Martino (g)
Gil Goldstein(p)
Richard Davis(b)
Hilly Hart(ds)

 パット・マルティーノとは思いのほか縁がなく、聴くようになったのはずいぶんあとになってからだ。ジャズ・フュージョンのギタリストを聴き始めるようになると、だんだんと彼らが持っているルーツをたどり、ウエス・モンゴメリなどのオーソドックスなスタイルのジャズ・ギターは割合聴いた。  ジャズ・ギターへと深く入っていくにつれ、当然のことながらパットの名前も耳にするようになり、気になってはいた。

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 ただ、最初に目にした彼の写真が、サングラスとヒゲがなんとも怪しい風貌で、「ウエスの後継者」といわれてもまったく信じることができなかった。それよりも、ロック界の奇人フランク・ザッパに通ずるようなイメージが植えつけられ、端正なギタープレイをするなどとは思いもよらなかった。はっきりとは覚えていないが、手にしていたギターも、ジャズ・ギタリストが通常使うアーチトップ(フルアコ)ではなく、ソリッドボディのものだったような気がする。いずれにせよ、ガンガンにひずませた音で弾いていてもおかしくなさそうな風貌だったのだ。

 あるとき、FMラジオから聞こえてきた「酒とバラの日々」に思わずはっとした。クリーントーンながら素晴らしいドライブ感。一体誰の演奏だろうと思って調べると、それがパット・マルティーノだった。あわてて、本作を手に入れて聴いてみた。リチャード・デイビスの渋いベースソロから始まる冒頭の曲は、若干フリーフォーム色がはいっているが、それ以外はほぼスタンダード曲が中心で、ギターを弾きまくるパットを堪能できる。
 パットのギターから思い浮かぶのが、“空間恐怖症”というイメージだ。音の無い空間の存在にガマンができず、隙間という隙間に音を埋め込んでいくかのごとく、ギターを弾いている。

 1980年頃に脳動脈瘤に倒れ、手術を行いなんとか回復するものの、その影響で、過去の記憶を失ってしまう。ギター演奏を再びおこなうことは不可能だろうとうわさをされたが、そんな声を払拭するかのように1987年には『The Return』を発表。以前にも増して、複雑さを増した独特のフレージングは、続けて発表されていく作品ごとに磨きをかけられていく。見事に再起した彼の演奏を聴くと、プレイヤーの音楽スタイルは、単に脳に記憶されているものではないということを思い知らされる。

 最新作では、ウエス・モンゴメリー・トリビュートというコンセプトでまとめたパット。ビバップからコンテンポラリーまで何でもこなせて、思わず人を唸らせるギタリストだろう。カリスマ性を持つ彼が放つオーラは、聴く者をどんどんと深い世界へと引きずり込んでいく。

June 15, 2006

●Joni Mitchell: Blue

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Joni Mitchell (vo, g, dulcimer, p)
Stephen Stills (b, g)
James Taylor (g)
Sneeky Pete (pedal-steel)
Russ Kunkel (ds)

 ギターをかっこよく弾く女性シンガー・ソング・ライターの草分けといえば、ジョニ・ミッチェルをあげずにはいられない。もちろん、それ以前にもジョーン・バエズをはじめとする、女性フォーク・シンガーは大勢いた。それでも、ジョニのかっこよさが際立っているのは、彼女のギター演奏スタイルとも関係がある。
 彼女が得意としていたのは、オープンチューニングを使ったもの。チューニングが一般のものとは違っているため、和音の響きが独特のものになる。ハイトーンの歌声に、ふわふわとした透明感のあるギターの音が絡み合っている心地よさ。

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 ジョニはカナダ生まれだが、東出身のシンガー・ソング・ライターは、結構ダルシマーを演奏する人が多い。以前取り上げたブルース・コバーンも弾いているし、女性ギター製作家として知られているリンダ・マンザーも、最初に作ったのはダルシマーのキットだったという。このマウンテン・ダルシマー(ハンマー・ダルシマーとは別の楽器)は別名アパラチアン・ダルシマーと呼ばれることもあることから、北米大陸東海岸のアパラチアン山脈地方では割合ポピュラーなものといえよう。
 アパラチアン山脈は、英国・アイルランド系の移民が多く、アメリカのルーツ的な音楽の源となった地域である。楽器自体のルーツはドイツ等といわれているが、1940年代頃、ジーン・リッチーがダルシマーを演奏するようになり、その後のフォーク・リヴァイバルの波に乗って、ポピュラーなものとなっていったようだ。
 日本では、なかなかお目にかかることは少ないが、われわれの世代では、「私は泣いています」のヒットで知られるリリィが『ダルシマー』というアルバムを出していて、その当時のライブで演奏していた記憶がある。

 初期の傑作として名高い本作だが、デビュー当初からジュディ・コリンズやCSN&Yなどをはじめ、数多くの楽曲を提供していることから、ソング・ライティングの質の高さも際立っている。ウッドストック・ロック・フェスティバルにむけては、CSN&Yにそのものズバリ「ウッドストック」という曲まで書いている。この当時は、彼らと活動をともにしていることが多く、古いライブ映像では、ライブにコーラスとして参加している姿を見ることもできる。フェスティバルにも同行する予定があったが、直後に自分のコンサートが控えていて、予定通り戻ってこれるかどうかがわからなかったので一緒に行かなかったという話も耳にしたことがある。

 シンプルなフォーク~ロックスタイルから、後にはジャコ・パストリアスなどをはじめとするジャズ・フュージョン界のトップ・プレイヤーとの共演など、新しい世界を広げつつも、その歌声とサウンドは、常にジョニらしさを感じさせるユニークなスタイルを貫いている。
2002年にはこれまでの集大成といえるセルフカバー集『Travelogue』を発表し、その後の目立った活動は停止している。ぜひとも、活動を再開して、今なお透明感を失っていない声と、素晴らしいギター演奏を披露してもらいたいものだ。

June 07, 2006

●Billie Holiday: Lady in Satin

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Billie Holiday (vo)
Ray Ellis and his orchestra

 「うまいとか下手とかを超越して、人の心に入ってくる歌声」、晩年のビリー・ホリデイを聴くと、いつもそのことが頭に浮かんでくる。最晩年の本作では、ヘロインの常用により、文字通り身も心もボロボロになっていたビリーの声が痛々しいばかりだ。音程は不安定で、声の艶も消えてしまっている。それでも、冒頭の曲で「I'm a fool to want you.」と歌いだすのを聴くと、心を強く揺さぶられてしまう。

 古いブルーススタイルをベースにしていたビリーは、それまでの女性ボーカルとは違う、新しいスタイルを築き上げていった。敬愛していたルイ・アームストロングやレスター・ヤングなどのホーンプレイヤーの作り出していたハーモニー的な要素も歌に取り入れていったのである。彼女は、「管楽器のように歌いたい」とよく口にしていたという。

 ビリーの歌う歌詞は、非常に辛く、悲しい内容が多い。当時の黒人たちが直面していた、ひどい状況を、時には明るいメロディにまでのせて歌っている。「奇妙な果実」でうたわれている、木にぶら下がっている奇妙な果実とは、リンチを受けて木に吊り下げられて殺された黒人のこと。
 ビリー自身、自分が歌っていた悲惨な歌詞の世界そのままを生きていた。未婚の母の子として生まれた彼女は、差別を受けたり、乱暴をされたりと、幼少から辛い道を歩かされていた。しかし、10代後半で、歌手としての評価を得ると、人気の高い楽団との競演を重ね、一気に知名度を上げていくようになる。歌い手として一時は高い評価を得ながらも、私生活では母親の死や、暴力を振るう男性の存在から、ヘロインを常用するようになっていく。結局、麻薬の不法所持で刑務所に送られてしまうようになる。ヘロインの常習者というレッテルを貼られたビリーは、キャバレー・カードを剥奪され、ナイトクラブでの出演の機会も奪われてしまう。過度のヘロイン服用とアルコール摂取により、声はボロボロになっていき、歌手としての生命もほとんど絶たれたも同然のようになっていく。
 
 このアルバムを録音したとき、ビリーはまだ43歳だったが、70過ぎの女性の声といっても通るほど、しわがれ、艶も失われている。悲しい内容を切々と歌うその姿には、ある種の諦念のようなものすら感じさせられる。だからこそ、詞の内容がグイグイと心にねじ込まれるようにして入ってくるのだろう。
  この翌年、早すぎる死を迎えてしまうのだが、ベッドで眠るように息を引き取っていたのを発見されたときも、死してなおヘロインの不法所持で逮捕されるという悲しい結末を迎える。

 長いことビリーの歌伴をしていたピアノのマル・ウォルドロンは、このアルバムでも半数ほどの曲に参加している。ビリーの死をいたみ、その喪失感を表現したマルの『Left Alone』は、ひとり取り残された悲しさと寂しさをを訴えかけてくる。そのマルも2002年にこの世を去り、むせび泣くようなアルト・サックスを吹いていたジャッキー・マクリーンも、最近、鬼籍に入ってしまった。

 ビリーの歌を聴くたびに、歌のもつ力とはなんなのかを、考えずにはいられない。人の心を揺さぶるのは、決して「うまさ」ではないのだろうと思う。

June 03, 2006

●上田 正樹と有山 淳司: ぼちぼちいこか

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上田 正樹 (vo)
有山 淳司 (vo, g)
中西 康晴 (p)
藤井 裕 (b)
金子 マリ(chorus)
妹尾 隆一郎 (harm)

 昔から、音楽やオーディオなど興味のある分野については、関連する雑誌のほとんどに目を通すのが習慣になっている。特に音楽は、ミーハーなものを除けば、小学生の頃から主要な雑誌はほとんど見ているような気がする。最も、最近ではミーハーなものが多いので、手にする雑誌は限られたものとなってきている。

 このアルバムが発売された頃、今は廃刊になってしまった『新譜ジャーナル』や『Guts』といった雑誌に紹介されていたのは覚えている。当時は、アルバムの中から1-2曲、楽譜か歌詞プラスコード進行などが載っていることが多かった。たしか、「俺の借金、全部でなんぼや」という曲がのっていたように記憶しているが、歌詞だけを読むと完全なおちゃらけで、コミックバンドにしか思えず、聴いてみたいと思うこともなく忘れ去っていた。 
 そうこうしているうちに、気がつけば月日は流れ、上田正樹の名前は「悲しい色やね」の大ヒットで再び目にするようになった。おりしもAORブームが起こっていた時代ということもあり、都会的な大人の雰囲気のシンガーというイメージが、自分の中に植えつけられていった。

 ずっと忘れ去っていたアルバムを聴いてみようと思ったのは、有山淳司のギタープレイに関心があったからだ。少し泥臭いスタイルで、どんなギターを手にしても自分の音にしてしまう彼の演奏をたまたま見て、昔のものも聞いてみたくなったのだ。上田正樹の声も好きだったので、本作を手にしたのは自然の流れだった。
 「しまったぁ! もっと昔からちゃんと聴いておくんだったぁ」というのが最初の感想。確かに歌詞はコミカルな内容が多いが、演奏は素晴らしいし、コーラスもばっちり決まっている。何よりも、関西弁が実にブルースなどのスタイルにマッチしていて、ノリがよく、日本語の歌詞とは思えないほど。うまい人たちが、遊びの要素を持って楽しみつつ音楽をやっているのがなんともかっこよい。

 残念ながら、現在はこのCDは入手が難しくなっているようである。中古屋でリーズナブルな値段のものを見かけたらぜひとも手に入れてほしい。まだ、知らないうちに再発売となることも多々あるので、チェックをしておきたい。
 この時代で、ブルースの香りのする音楽を聴くのであれば、関西をベースに活動していた人たちのものは、絶対にはずせない。