« Joni Mitchell: Blue | main | Toninho Horta: Durango Kid »

June 18, 2006

●Pat Martino: Exit

PatMartino_exit.jpg

Pat Martino (g)
Gil Goldstein(p)
Richard Davis(b)
Hilly Hart(ds)

 パット・マルティーノとは思いのほか縁がなく、聴くようになったのはずいぶんあとになってからだ。ジャズ・フュージョンのギタリストを聴き始めるようになると、だんだんと彼らが持っているルーツをたどり、ウエス・モンゴメリなどのオーソドックスなスタイルのジャズ・ギターは割合聴いた。  ジャズ・ギターへと深く入っていくにつれ、当然のことながらパットの名前も耳にするようになり、気になってはいた。

PatMartino.jpg
 ただ、最初に目にした彼の写真が、サングラスとヒゲがなんとも怪しい風貌で、「ウエスの後継者」といわれてもまったく信じることができなかった。それよりも、ロック界の奇人フランク・ザッパに通ずるようなイメージが植えつけられ、端正なギタープレイをするなどとは思いもよらなかった。はっきりとは覚えていないが、手にしていたギターも、ジャズ・ギタリストが通常使うアーチトップ(フルアコ)ではなく、ソリッドボディのものだったような気がする。いずれにせよ、ガンガンにひずませた音で弾いていてもおかしくなさそうな風貌だったのだ。

 あるとき、FMラジオから聞こえてきた「酒とバラの日々」に思わずはっとした。クリーントーンながら素晴らしいドライブ感。一体誰の演奏だろうと思って調べると、それがパット・マルティーノだった。あわてて、本作を手に入れて聴いてみた。リチャード・デイビスの渋いベースソロから始まる冒頭の曲は、若干フリーフォーム色がはいっているが、それ以外はほぼスタンダード曲が中心で、ギターを弾きまくるパットを堪能できる。
 パットのギターから思い浮かぶのが、“空間恐怖症”というイメージだ。音の無い空間の存在にガマンができず、隙間という隙間に音を埋め込んでいくかのごとく、ギターを弾いている。

 1980年頃に脳動脈瘤に倒れ、手術を行いなんとか回復するものの、その影響で、過去の記憶を失ってしまう。ギター演奏を再びおこなうことは不可能だろうとうわさをされたが、そんな声を払拭するかのように1987年には『The Return』を発表。以前にも増して、複雑さを増した独特のフレージングは、続けて発表されていく作品ごとに磨きをかけられていく。見事に再起した彼の演奏を聴くと、プレイヤーの音楽スタイルは、単に脳に記憶されているものではないということを思い知らされる。

 最新作では、ウエス・モンゴメリー・トリビュートというコンセプトでまとめたパット。ビバップからコンテンポラリーまで何でもこなせて、思わず人を唸らせるギタリストだろう。カリスマ性を持つ彼が放つオーラは、聴く者をどんどんと深い世界へと引きずり込んでいく。

コメント

彼の演奏の持つオーラにはどことなく東洋的なものを感じます、青白い炎と表現すればいいのか。ジャズという枠を超えた何かを感じずにはいられないギタリストですね。

>いちろさん
いらっしゃいませ。

確かに、東洋的なイメージが強いですね。アルバムのジャケットデザインも『Counsciousness』『East!』など、仏教的なイメージがプンプンするものもありました。
エレキの12弦を弾いた演奏も、どこかのアルバムに入っていたような気がします。

加えて、ある種のカリスマ性を持っていて、熱狂的な信者(?!)が多いのも特徴かもしれません。その点でも、ジャズ・ギタリストのイメージから外れる部分を感じます。

青白い炎というイメージも面白いですね。確かに、赤々と燃えるというよりは、静かに内なる炎が上がるという雰囲気があります

コメントする

(初めてのコメントの時は、コメントが表示されるためにこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまでコメントは表示されませんのでしばらくお待ちください)