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July 29, 2006

●Bill Evans: Waltz for Debby

BillEvans_waltz.jpg

Bill Evans (p)
Scott LaFaro (b)
Paul Motian (ds)

 ビル・エバンスがらみのアルバムを続けて紹介したので、次は彼のリーダー作を取り上げてみよう。数え切れないほどの名作を残しているビルだが、定番中の定番が本作。1961年6月25日、ニューヨークの老舗ジャズクラブ、ヴィレッジ・バンガードでのライブ収録盤である。この日の演奏は、『Waltz for Debby』、『Sunday at the Village Vanguard』の2枚としてリリースされている。『Sunday...』の方はスコット・ラファロのオリジナル曲などを収録しているのに対して、『Waltz for Debby』はスタンダード中心の選曲となっている。

 ビル・エバンスを聴くにあたり、トリオ編成ではスコット・ラファロ、ポール・モティアンによる演奏をまず押さえておきたい。スコット・ラファロがビルのピアノトリオに参加したのは1959年のことである。ビルが当時重視していたのがインタープレイと呼ばれるスタイル。従来のビバップでのアドリブに比べて、プレイヤー相互のかかわりがより強い演奏スタイルである。ビルはこの後にも、違うメンバーによる素晴らしいトリオ演奏を残しているが、最初の、そして最も成功したスコット・ラファロとポール・モティアンによるトリオ演奏をやはり最初に紹介しなければいけないだろう。

 ややルバート的なビルのソロから始まり、スコットが力強いベースラインで絡み、ポールがでしゃばりすぎず、かといってしっかりと存在感のあるブラシワークで支えるというパターンも一つの特徴ともいえよう。ビルのピアノは、これまでのジャズ・ピアニストとは少し趣きが異なり、リリカル(詩的)という表現がピタリとはまるものだろう。あくまでも違いという観点からだが、黒人ピアニストに対して白人ピアニストとしてくくられる「違い」を確かに感じる。単に激しい、激しくないということではなく、感情をストレートに表出させるのではなく、強い思いを内面に押しとどめつつも、それがじわりじわりと染み出てくるような印象を受ける。

 ビルにとって、重要なパートナーともいえるスコットは、この演奏のわずか10日後に交通事故で他界をしてしまう。その喪失感はとても大きく、1年近くビルは演奏活動を休止してしまう。しかし、当時の敏腕プロデューサー、クリード・テイラーの励ましを受け、さまざまな演奏フォーマットでの活動を再開する。

 ビルについて書かれたテキストによると、彼はこのアルバムには気に入らない点があるといっていたそうである。ヴィレッジ・ヴァンガードは老舗ジャズクラブで、客は熱心なジャズファンが多いといわれるが、このアルバムでは、グラスの中で氷が音を立てていたり、客席の雑音が結構録音されている。ビルは、観客がこのような音を立てていることが気に入らなかったということらしい。確かに、日本のジャズ・クラブではあまり見ないような、「ゆるい」雰囲気がそれらの音から伝わってくる。少々音を立てたからといって非難されようとも、この素晴らしい演奏を目の当たりにしていた人は、ほんとに幸せであろう。

July 23, 2006

●John McLaughlin: Time Remembered

JohnMcLaughlin_time.jpg

John McLaughlin (g)
Yan Maresz (b)
The Aighetta Quartet
   Francois Szonyi (g)
   Pascal Rabatti (g)
   Alexandre Del Fa (g)
   Philippe Loli (g)

 マイルスのアルバムでも触れたビル・エバンスは、60年代以降のジャズ・ピアニストとしてはもっとも重要な人物の一人といえるだろう。したがって、さまざまな人たちに影響を与えていったわけであるが、ピアニストのみならず、ギタリストも彼のことをフェイヴァリット・プレイヤーとしてあげる人は多い。

 ジョン・マクラフリンは60年代終わりにトニー・ウィリアムスのグループ、ライフタイムに参加すべくイギリスを離れニューヨークへと移り住む。そして、『ビッチェズ・ブリュー』をはじめとして、マイルスのアルバムにも数多く参加していった。その後、自身のグループ、マハヴィシュヌ・オーケストラを結成し、ハードコアなフュージョンの黎明期に大きな役割を果たしていった。さらには、インド音楽への傾倒を全面に出したシャクティでの演奏からは、アコースティック音楽を中心として、ラリー・コリエル、クリスチャン・エスクーデ、パコ・デ・ルシアやアル・ディメオラなどとの共演を重ねていった。
 80年代終わりから90年代初頭になると、セッション的なアコースティック・ギター主体の演奏から、メンバーをほぼ固定してジョン独自のスタイルを確立したともいえるジョン・マクラフリン・トリオでの演奏がメインとなり、か図化すの素晴らしい演奏を残していった。そのトリオでの演奏が一段落した時期に、この作品が録音された。

 ジャズを専門とする批評家などからは、ジョンに対する厳しい評価を聞くことが多い。マイルスのグループに参加していた前後は、エレクトリック・ジャズの主流に近いところにいたジョンのその後の道のりは、必ずしもジャズ信奉者からは好ましいものとは映っていなかったようなのである。そのジョンが、ジャズのメインストリームにドンと構えるビル・エバンスへのトリビュートとして楽曲集を出したことに違和感を感じているという内容の評論を目にしたこともある。

 確かに「ジャズ」というカテゴリーの中でこのアルバムを聴くと物足りなさを感じることは否めない。しかし、このアルバムは純粋なジャズではないという地点からスタートすると、まったく違う評価を下すことができよう。ベース奏者としても参加しているヤン・マレッツは、ジョンの弟子でジュリアード音楽院の卒業生。つまり、クラシック音楽の基礎をしっかりと持つ人物である。彼が、今回のビルの曲のアレンジに重要な役割を果たしていった。エイグェッタ・クァルテットはクラシック・ギターのアンサンブルユニットであることからも、この作品の志向するものがはっきりとうかがい取れる。
 緻密なアレンジ・構成をベースとしたアンサンブル演奏で、ビル・エバンスの持つ楽曲の繊細な対位法的手法を際立たせているのである。ジョンは、自分のソロパートではインプロヴィゼーションを展開しているが、決してジャズ・フュージョンのアルバムで見られるような自由奔放なラインではなく、カシッとした枠組みの中にきちんとおさまっているものとなっているのが面白い。

 ギターのピンと張り詰めた音、極限まで計算しつくされたメロディと内声の動き。クラシック・ギターのファンにも十分訴えかける力があるジョンの演奏は素晴らしいのはもちろんだが、やはり、ビル・エバンスというアーティストの計り知れないポテンシャルを意識せずにはいられない。

July 18, 2006

●Miles Davis: Kind of Blue

MilesDavis_kind.jpg

Miles Davis (tp)
Julian Cannonball Adderley (as)
John Coltrane (ts)
Bill Evans (p)
Wynton Kelly (p)
Paul Chambers (b)
Jimmy Cobb (ds)

 マイルス・ディヴィスのグループからは、楽器を問わず、その後のジャズ/フュージョンシーンをリードしていく素晴らしいミュージシャンが数多く輩出されている。アート・ブレイキー率いるジャズ・メッセンジャーズがどちらかというと管楽器中心に若手メインストリーム・ジャズプレイヤーを育てていったのとは、ある意味対照的でもある。

 マイルスにとって、大きな影響のあったピアニストといえば、まずビル・エバンスを挙げずにはいられない。このアルバムを録音する1年ほど前から、マイルスのセクステットに参加するようになったビルは、従来のジャズ・ピアニストとは違うアプローチを取り入れていく。ドビュッシーやレベルといわれる印象派からの影響を強く受けていた彼は、ヨーロッパのクラッシック音楽の流れをジャズとうまく融合させ、リリカルとも評される新しいスタイルを築いていった。

 このアルバムはマイルスにとって非常に重要なアルバムの一つといえるが、ここで展開されているさまざまな試みの源はビルにあるといえよう。中でも、冒頭の曲「So What」で展開されたモード奏法(この曲はドリアン・モード)は、それまでの典型的なコード進行に対して、常套句的なアドリブフレーズが展開していたものとは、まったく異なるアプローチによる曲の構成、アドリブの展開を示すものであった。モードのルーツは中世以前の教会旋律にあるといわれているが、学究肌のビルの力なくしては、このレベルまで形作られることが難しかっただろう。もちろん、マイルスはこの録音以前に、「マイルストーン」などで、すでにモード手法を取り入れているわけだから、ビル一人の力ではないのであるが・・・。

 裏ジャケットには、ピアノに向うビルを横からマイルスが覗いている写真が使われているが、両者の表情がとても興味深い。レコーディングの途中では、マイルスがたびたびピアノに向かい、その傍らでビルがアドバイスをするというシーンが何度も見られたという。くわえタバコでたったまま鍵盤を弾いているビルは、自分の求めているものに向って突き進んでいるかのような凛とした印象を漂わせているのに対し、マイルスの表情にはなんともいえない不安な影が落ちている。まったくの推測に過ぎないが、ビルの提示していくものに対して、マイルスが乗り切れていないのではと思わせるようである。

 実際の演奏はというと、写真にあった不安な表情というのをまったく感じさせないところが、さすがマイルスである。コルトレーン、アダレイとともに最強ともいえる3管編成は、強烈なドライブ感を前面に押し出すのではなく、静かな緊張感を携えつつ展開していく。ビルの代わりにウィントン・ケリーがピアノを弾いている「フレディー・フリーローダー」のみは、テーマ部にモーダルな要素があるものの、最初にソロを取るウィントンはモードというよりは従来のビバップ的なアドリブを展開しているのが、少し異質な感を受ける。しかし、メンバーにとっては、新しいモードから、一時的にせよ開放された一服の涼ともいえるような曲の仕上がりになっているもがおかしい。

 一部の曲を除けば、ほとんどがワン・テイクで録音されたという。おそらく、スタジオでの緊張感はすさまじいものがあったことは想像に難くない。ビルの力が不可欠であったにせよ、やはりこのメンバーをまとめあげて、一気にこの高みまで持ち上げるマイルスの統率力には脱帽である。

 

 

July 13, 2006

●Steve Eliovson: Dawn Dance

SteveEliovson_dawn.jpg

Steve Eliovson (g)
Collin Walcott (per)

 彗星のように現れて、素晴らしいアルバムを残したかと思うと、忽然と音楽シーンから姿を消してしまったアーティストもおおぜいいる。ここで紹介するスティーヴ・エリオヴソンもその一人であろう。

 21歳からギターを始めた彼が、このアルバムを録音したのは28歳のとき。わずか7年でこのレベルの演奏に到達したということから、相当ギターののめりこんでいたことは想像に難くない。
 たびたび取り上げているが、このアルバムもドイツのECMレーベルからのリリース。スティーヴは録音する1年前に、直接マンフレート・アイヒャーにデモテープを送ったところ、無名のギタリストの素晴らしい演奏にビックリしたマンフレートはスティーヴに直接会ってすぐさま、レコーディングをおこなうことを決めたという。

 南アフリカ生まれのスティーヴはギターを始めてからしばらくしてアメリカに渡っているが、2年ほどで再び母国へと戻っている。その後、ジャズやインド音楽などにも一時期傾倒していた。確かに、このアルバムでの演奏からはインド音楽の影響を、うまく昇華した形で自分の音楽を作り上げていることが伝わってくる。民族音楽への造詣が深いオレゴンののパーカッションとして活躍していたコリン・ウォルコットをサポートとして迎えているのも非常に当たっている。
 オレゴンではギターのラルフ・タウナーとともにダブル・フロント的な位置でかなりフィーチャーされた演奏をしているコリンだが、ここではあくまでもスティーヴのサポートという位置づけ。前に出すぎることなく、かといってしっかり存在感のある絶妙なプレイである。

 スティーヴのギターは、ジャズ・テイストが随所に顔を出しているものの、上述のインド音楽や、ウィンダム・ヒルレーベルのウィリアム・アッカーマンの初期の演奏とも共通するような畳み掛けるようなフレーズが徐々に展開をしていくようなニューエイジ的な構成など、それまでのECMレーベルのギタリストとは、少し違う傾向を持っている。曲の展開にはアフリカ音楽的な要素もそこはかとなく感じることができるが、比較的プリミティブな音の楽器を用いることが多いアフリカの音楽に対して、彼の弾くギターの音はやはりヨーロッパのもの。ヨーロッパ、アメリカの音楽をベースとしつつもアフリカや南アジアの影響もしっかり感じさせるところが興味深い。

 ECMレーベルはアーティストとの関係を長期間にわたって作り上げていくことを考えると、1作だけで関係を終わらせてしまったスティーヴのケースは極めて珍しいことであろう。これだけレベルの高いものを作り上げながら、わずか1作だけで、音楽の世界からすっかり姿を消してしまったのは残念至極である。いつの日かまた、素晴らしい演奏を聞かせてくれるのを心待ちにしたい。

July 07, 2006

●Anne Briggs: The Time Has Come

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Anne Briggs (vo, g, bouzouki)

 60年代から70年代にかけて活躍したブリティッシュ・フォーク(トラッド・フォーク・リヴァイヴァルと呼ばれる動き)では、女性シンガー(ヴォーカリスト)がひときわ輝いていた。以前紹介したペンタングルのジャッキー・マクシー、フェアポート・コンヴェンションのサンディ・デニー、スティーライ・スパンのマディ・ブライアーがその代表格だが、もう一人、主にソロ活動をしていたアン・ブリッグスのことを忘れることはできない。

 本作の邦題が『森の妖精』とあるためなのか、アンはブリティッシュ・フォークの妖精系シンガー(そもそもイメージがよくわかないのだが・・・)と呼ばれることもあるようだが、とても意思的な歌声が印象的で、妖精というイメージはあまり当てはまらないような気がする。

 イングランド中部のノッティンガムに生まれたアンは、いつしか地元のコーヒーハウスなどでトラッド・フォークソングを歌うようになるが、5-60年代のトラッド復興運動の中心的存在、イワン・マッコールやA.L. ロイドなどと出会うことで、瞬く間に表舞台に立つようになっていく。特にロイドからはトラッド・フォークの豊かな世界を伝授され、彼女のその後の音楽性に多大な影響を受けていく。

プロとしてのキャリアを踏み出す以前に、スコットランドを旅行しているときに知り合ったというバート・ヤンシュは、いうまでもなく、ペンタングルで活躍したシンガー/ギタリストであるが、バートはアンを通じて、ロイドなどが研究・伝授していたトラッド・フォークの奥深い世界を知っていくのであった。また、アンはバートからオープンチューニングなどのギター関連のテクニックや、ソングライティングを教わったとある。
 バートがジミー・ペイジをはじめ、数多くのミュージシャンに影響を与えたことを考えると、そのバートに重要な橋渡しをしたアンの存在はとても大きいことがわかる。

 本作では、インストも含めギターとブズーキーの演奏と歌をアンが一人でおこなっている(アルバムのクレジットには明記されていないのできちんと確認できているわけではないが)。特に、楽器の演奏は派手さはないものの、とてもしっかりしたピッキングで、女性らしからぬ力強さすら感じさせるものだ。ブリティッシュ・トラッド独特の雰囲気なのだが、幽玄でしっとりとした中にも、時折キラリと光るものを感じられるのは、なんとも不思議だ。コード進行はちゃんとあるのだが、モーダル的な浮遊感からは、不安定な気持ちの揺らぎにも似た危うさが感じられる。

 アンは、本作を発表した後、音楽活動を離れてしまう。育児のためといわれているようだが、一方では、自分自身の歌声に対してコンプレックスを持っていて、レコーディングを非常に嫌っていたともいわれている。90年代に入り、過去の録音を集めてCDとしてリリースしたのをきっかけに、音楽活動を一時再開したらしいが、1,2度の演奏以外には目立った活動の話は入ってこない。

July 03, 2006

●Steve Khan: Evidence

SteveKhan_evidence.jpg

Steve Khan (g)

 70~80年代初頭のフュージョン・シーンを語る上で、はずせないのがアリスタ・レコードのノーヴァス(novus)・レーベルである。アリスタは、以前紹介したラリー・コリエルの『Tributaries』をはじめ、ブレッカー・ブラザースや、STEPS(のちにSTEPS AHEADとユニット名を変更)などで活躍をすることになるマイク・マイニエリなど、重要なプレイヤーが数多くの作品をリリースしていたことで知られる。

 70年代からニューヨークを拠点に、数々のセッションをこなし、実力派ミュージシャンとして評判が高かったスティーヴ・カーンは1975年から76年にかけてラリー・コリエルとギター・デュオのライブ・ツアーをおこなう。ここで、ウェイン・ショーターやチック・コリアなどの曲をギター2本で即興的な要素を交えながら、白熱のセッションを繰り広げた。このユニットでは1976年録音の『Two For the Road』という名盤を残しているが、これはまた機会を改めて紹介したい。

 コリエルとのツアーを終え、スティーブはエレクトリック主体のリーダー作を3枚ほど発表するが、81年にリリースした本作では、アコースティック・ギターを前面に出しながら、コリエルとのデュオとは別軸の素晴らしい演奏を披露する。場合によっては、複数のアコースティック・ギターのみならず、エレクトリック・ギターも重ねた多重録音による演奏だが、メロディの美しさを追求したスティーヴのギタープレイ自体は、決して奇をてらったものではなくオーソドックスともいえるものなのだが、非常に緻密に作り上げられた楽曲は、これまでにない独自性の強いものである。

 個人的には、少し空間系のエフェクト処理が強いのが気になるが、ギター自体の音も素晴らしい。このとき、スティーヴが弾いていたのは、デヴィッド・ラッセル・ヤングが製作したギター。デヴィッドは60年代終わりから80年代初めにかけてアメリカ西海岸でギター製作をしていた伝説の人物である。その後、ギター製作からはなれ、ヴァイオリンの弓製作家として現在も活動している。たまたま縁があって、『アコースティック・ギター・マガジンVol.18』(リットーミュージック 2003年10月刊)の「幻と呼ばれたドレッドノート」という企画で、もう一人の伝説的なギター製作家、マーク・ホワイトブックとともに取り上げたとき、二人の製作家とそれぞれのギターについて記事を書く機会を得た。デヴィッドとはメールで連絡を取り、短いバイオグラフィーながら、事実を確認しながら執筆できた。

 ギター製作をする人の間では、デヴィッドは『The Steel Guitar Construction & Repair』(残念ながら、絶版になってしまっていて入手は難しいようである)という教科書を執筆したことでも良く知られている。スティール弦ギターの製作方法について書かれた最初の本であるが、今はギター製作を離れている伝説の人物とコンタクトが取れたことで、とても興奮したことを今でもよく覚えている。

 メロディを歌わせるためにスティーヴが選んだのは、ウェイン・ショーターやホレス・シルバー、セロニアス・モンクなどの楽曲。その中でも、モンクの曲を9つメドレーにしてトータル18分強に渡って繰り広げらるるラストの曲は、名演というより他にない素晴らしいものだ。

 残念なことに、このアルバムは現在入手が難しいようである。ただ、ネット上のmp3形式で楽曲を扱うサイトなどからダウンロードはできるようである。「Steve Khan Evidence」といったキーワードで検索すると見つかるだろう。但し、mp3は圧縮形式なので、オリジナルの音を再現できるわけではないことを認識しておく必要があるだろう。個人的には、mp3ではかなり音の密度が変わるという印象がある。
 ちなみに画像のジャケット写真は「Novus series '70」というシリーズ企画でリリースされたCDのもの。LPでリリースされたのは、中央の白い部分のデザインによるものだった。

July 02, 2006

●Tim Sparks: One String Leads to Another

TimSparks_onestring.jpg

Tim Sparks (g)
Dean Magraw (g)


 アメリカにおいて、フィンガースタイルのギターソロ演奏では、毎年カンザス州ウィンフィールドで開かれるフィンガー・ピッキング・コンテストで優勝することが、最近は登竜門のようになっている。今回取り上げる、ティム・スパークスは1993年の優勝者。コンテストでは、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」をギターソロにアレンジしたものを演奏し、後に、CDとしても(コンテストでの演奏ではなく、スタジオ録音のもの)発表した。

 アメリカ東海岸のノースカロライナ生まれのティムは、もともとクラシック・ギターから勉強を始めたという。しかし、アートスクールを卒業する頃から、ジャズをはじめとするさまざまなジャンルの音楽に関心を示すようになる。彼の音楽の方向性を大きく変えたのは、地中海~東ヨーロッパ地域の音楽だろう。奨学金を得て、ポルトガルのファドやユダヤのクレズマーなどを吸収することで、複雑なポリリズム、独特のエスニックな音階を多用するスタイルが形作られていった。

 本作では、一曲のみサポートのギターが入っているが、基本はギターソロ。彼自身のコメントによれば、「前作まではチャイコフスキーやバルトーク、バルカンのフォーク音楽、中東の音楽、ジャズ、ケルトそしてラテンの色が濃いものだった。しかし、今回の作品では、自分のルーツとも言える、ノースカロライナの音楽に戻ってきた」とある。確かに、(アメリカナイズされたわれわれ日本人にとっても)アメリカ的なわかりやすく、耳なじみの良い曲が並ぶ。しかし、地中海に面する国々の音楽の影響は、そこかしこに見え隠れするのが面白い。

 ティムは、何度が来日している。2002年に中川イサト氏がハンガリーのギタリスト、シャンドラ・サボと一緒にティムを呼んだライブを見たが、同じギターソロ演奏ながら三人三様でとても面白く、楽しむことができた。ライブ後に、自分が製作したギターを試奏してもらい、コメントをもらったのだが、とても誠実に対応してもらったことを今でもよく覚えている。
 ギターを評価してもらうと、概してアメリカ人はその楽器のいいところを捉えて、コメントしてくれ、ネガティブなことをいうことは滅多にない。こちらとしては、ほめてもらうよりは、いま自分の楽器に何が足りないかをプロのプレイヤーの視点から捉えてもらいたいという気持ちが強かったので、「あえて、ネガティブなことを指摘してもらえると、これから楽器をよくしていくための足がかりになるから」と無理を言って、いろいろアドバイスをしてもらった。ライブで自分が弾いていた楽器と私の楽器の両方をかわるがわる弾き、「こっちの楽器はこうだけれど、こちらはああだ」と一つ一つ丁寧にコメントをしてくれる。そのコメントはとても知的で、的確なものだった。彼の暖かい対応には、今でも感謝している。

 一見複雑そうに感じる彼の音楽も、気がつけばメロディラインを口ずさむようになるほど耳に馴染んでいく。それは、メロディが歌っているからに他ならない。