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February 25, 2007

●サディスティック・ミカ・バンド: 黒船

SadisticMikaBand_black.jpg

加藤 和彦 (vo. g)
加藤 ミカ (vo)
小原 礼 (b, vo, per)
高橋 幸宏 (ds, per)
今井 裕 (key, sax)
高中 正義 (g)

 最近、木村カエラをボーカルに迎え、コマーシャルがきっかけで活動を再開したサディスティック・ミカ・バンド。以前桐島かれんをボーカルで参加させたときに比べれば、遥かにいい感じに仕上がっているが、やはりオリジナル・メンバーによるものからまず聴いてほしいものだ。

 加藤和彦といえば、フォーク・クルセイダースのイメージが強かったが、イギリス志向の飛び切りポップなミカ・バンドが出てきたとき、それまでとの方向性の違いにびっくりしたものだった。メンバー一人ひとりは、スタジオミュージシャンとしても活躍していた猛者ばかり。当時の奥さんだった加藤ミカの決してうまいとはいえないがなんともいえない味のあるボーカルと相まって、強烈な存在感を放っていた。

 そんなミカ・バンドがロンドンから敏腕プロデューサー、クリス・トーマスを迎えて製作したのが本作である。クリスはピンク・フロイドをはじめとするプロデュースで活躍していて、イギリスで最も有名なプロデューサーの一人といってもよかった。そんなクリスが日本という地の果てのロック・バンドのプロデュースをするというニュースに、誰しもが驚いた。イギリス、ロンドン志向の強かったことにくわえ、日本語でのロックには抵抗が強かった日本国内の市場に対する反発心もあったかもしれないが、このアルバムを製作した翌年には、イギリスを代表するバンド、ロキシー・ミュージックのロンドン公演で前座を務め、大反響でロンドンっ子たちに迎え入れられる。
 当時、私はまだ中学生だったが、なんとなくこれからの音楽はロスやニューヨークだろうという雰囲気を掴み取っていたので、「何でいまさらイギリス? ロンドン??」という気持ちが強かったことをよく覚えている、もちろん、その後、ロンドンからパンク・ムーヴメントが起こることなどは、まったく想像していなかった。

 まるでワイドショーネタだが、クリス・トーマスはこのアルバムのプロデュースがきっかけで、加藤ミカと不倫関係になり、その後、加藤和彦とミカは離婚し、バンドは解散となる。ミカは単身イギリスに渡り、クリスとしばらく生活を共にすることになる。今井裕、高橋幸宏、高中正義、そして小原礼にかわってベースで参加していた後藤次利の4人は、新たにサディスティックスと名前を変え、インストのバンドとしてしばらく活動をおこなっていった。

 この時代、日本語のロックはノリが悪いといわれていたが、そんな声を払拭するほど完成度が高かったのが、若干年代が前後するものの、はっぴいえんどとこのミカ・バンドだったと思う。片やアメリカ的、もう片方はイギリス志向という違いも、今になってみるととても興味深い。アルバムのストーリー立ても含め、綿密に練られた音楽は、クリスの力を借りているとはいえ、やはり加藤和彦の力だろう。アルバムを通して聴くと、一つのショーを観に行ったようなイメージが残るのが面白い。

 ギターの高中正義に関しては、サディスティックス~ソロの初期の演奏を一時期聴きまくっていた頃がある。高校生の頃はひたすらコピーをして、文化祭でバンド演奏をしたときにも3曲ほど取り上げるほどの入れ込みようだった。この頃のエピソードについては、いずれ高中のアルバムを取り上げるときにでも紹介してみたい。

December 01, 2006

●GARO: GARO Box

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堀内護 (vo, g)
日高富明 (vo, g)
大野 真澄 (vo, g)
 他

 ガロの歌を最初に聴いたのは、おそらく『学生街の喫茶店』の大ヒットのときだったと思う。その後も、数々のヒットを飛ばしたのであるが、ギターとコーラスが若干印象には残るものの、当時は数多くあったポップス色が強いフォーク系のグループという程度の認識しかなかった。ただ、マーティンの最上位機種のD-45(1970年ごろの定価が75万円くらいだったようである)を持っていたので、貧乏なイメージの強かったフォークシンガーと比べて、ずいぶんとお金を持っているんだなぁと思ったことを覚えている。

 お小遣いの少ない小学生にとって、ガロのメジャーなヒット曲は、わざわざレコードを買いたいと思うほどではなかった。最初に彼らの曲を耳にしていらずいぶんたった後のことだが、ラジオから聞こえてくる『一本の煙草』という曲が、とてもおしゃれで気になった。当時は東京の大井町に住んでいたのだが、、同級生の実家でもあったアップルレコードという行きつけのレコード店に、シングル盤を探しに行ったのは、その直後のことだった。
 お目当てのシングル盤はすぐに見つかり、白黒の渋いジャケットに惹かれつつも、「他に何かいいものがあるかもしれない」と思い、フォーク系のアーティストのシングルを物色してみることにした。そこで、もう一つ気になっていたアリスの『紫陽花』というシングルを見つけてしまった。どちらを買おうか、かなり長い時間迷った末、なんと手にしたのは、アリスのシングル。いまや演歌歌手となってしまったベーヤンこと堀内孝雄がメインボーカルの曲である。今思い起こしても、かなり演歌色の強い曲といってもよいものだった。
 そんなわけで、ガロのレコードを手にする機会を自ら逃してしまった。その後はロック~フュージョン~ジャズへと走っていく少年にとって、ポップス色(それもたぶんに歌謡曲的な要素が含まれていた)の強いフォークはもはやおしゃれなものとは映らず、長いこと思い出すこともない存在となっていた。

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 大人になってかなりしてから、ガロがよく聴いていたCSN&Yのコピーバンドから始まったことを知り、俄然興味がわいてきた。
 すでに、彼らのCDは入手困難で、唯一手に入ったのがシングルリリースを中心にしたヒット曲集のアルバムのみ。ギターとコーラスには確かにCSY&Y的な雰囲気は感じられるものの、グイグイ著ひきつけられるほどの魅力は感じられない。
 いろいろと調べていくと、ファーストアルバムが一番CSN&Yの影響が濃い演奏となっていること、所属事務所(もしくはレコード会社)の意向で、ヒットを狙った路線を強いられ、なかなか自分たちのやりたかった音楽ができなかったことなどがわかってきた。そこで、ファーストアルバムを入手しようとしたところ、すでに廃盤。時折オークションで見かけても、1万円近くの値段で取引されているような状態だった。

 そうこうしているうちに、オリジナルアルバム8枚と未発表曲、テイク、ライブなどを収録したCD2枚とDVD1枚を組み合わせた本ボックスセットがリリースされるという情報を掴んだ。確かにセットとなると値段は高いものの、プレミアがついているものを買うことを考えたら、はるかにお得。おまけに、未発表曲にはCSN&Yのカバー演奏も含まれているというから、これは買わないわけにはいかない。

 完全予約生産というこのボックスセットは当初2006年8月にリリースされる予定だったが、DVDに収録しようとしていたCSN&Yの曲の使用承諾を得るのが難航し、発売は延期。結局、映像収録分は許可が下りず(ライブでのカバー演奏は収録されている)に内容を若干変更して11月末にリリースと相成った。すでにamazonでは在庫切れとなっているので、これから注文をしても入手できるかどうかはわからない。

 発売順にCD全10枚を続けて聞くと、事務所側がやらせたかったことと自分たちが本当にやりたかったこととの狭間でメンバーが苦しみながら音楽制作をしていたことが痛いほど伝わってくる。時折顔を出す、変則チューニングを多用したアコースティック・ギターの音と3声のコーラスは、確かにCSN&Yの影響がひしひしと現れている。当時ヒットしていた曲ではなくこれらの曲を聴いていれば、どっぷりとガロの音楽に浸っていたかもしれないほどだ。

 解散ライブの様子も一部収録されているが、解散の挨拶をメンバーがした後に「最後の曲です」といって演奏するのがTeach Your Children。そしておそらく続けて演奏されたのであろうFind the Cost of Freedom。Find~はCSN&Yがライブの最後にアコースティック・ギターだけを持って演奏する曲。途中から伴奏が一切なくなり、アカペラコーラスだけになる。グループの解散の最後にこの曲を持ってくることに、彼らの置かれていた状況の複雑さを垣間見たような気がした。

 残念なことに、トミーこと日高富明氏は1986年に36歳の若さで自ら命を絶つ。ガロとしての生演奏を耳にすることは二度とできないのである。高かった音楽性と、市場に翻弄されたグループとしての運と不運。音楽は、やはりアーティスト自身が内から湧き上がる思いとともに作り上げていくものだと感じずにはいられない。

August 18, 2006

●上条 恒彦: 冬の森にて

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上条 恒彦 (vo. g)
小室 等 (g)
高嶋 宏 (g, mandolin, balalaika)
芹田 直彦 (p, key)
川野 優次 (b)
長倉 徹 (ds, per)

 ジョーさんの歌を最初に聴いたのは、小室等率いる六文銭をバックに歌った「出発の歌」だったと思う。ヤマハが主催していた世界歌謡祭で1971年にグランプリを受賞した曲である。その翌年、市川崑監督のテレビドラマ『木枯らし紋次郎』の主題歌「だれかが風の中で」でも、小室さんのギターをバックに素晴らしい歌を聞かせてくれていた。
 当時、小学生だったこともあり、ずいぶん遅い時間に始まるドラマだったような気がするが定かではない。「・・・上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれたという。十歳の時、国を捨て、その後一家は離散したと伝えられる。・・・」というナレーションで始まり、主演の中村敦夫が「あっしには関わりあいのないことでござんす」という決め台詞とともに、口にくわえた長楊枝をプッと吹きだすしぐさが流行ったものだった。きれいな刀さばきの殺陣ではなく、ばたばたとした立会いがそれまでの時代劇とは違っていて、妙にリアルな印象を受けるドラマだった。

 話をジョーさんの歌に戻そう。こどもの頃、わが家にジョーさんのベスト盤が1枚あり、何度も何度も繰り返し聴いたものだった。民謡、黒人霊歌からシャンソン、ポップスなど、様々なスタイルの曲を取り上げていたが、ことさら印象に残ったのは、歌詞を大切に歌うという姿勢だった。伸びのある太い声とともに、その歌詞がしっかりと聴くものの中に入ってきて、情景が思い浮かぶのである。

 「ショウは終わった」という曲のせいかもしれないが、“ステージで歌う、歌うたい”というのが、ジョーさんのイメージである。しかし、歌手をメインとしていたのははじめの頃のみで、その後はミュージカル、そして舞台やドラマで俳優として活躍するにつれ、歌の活動はだんだんと少なくなっていった。

 このアルバムは、1996年に初めて自主制作というスタイルで作られたもの。実に17年ぶりのアルバムである。初期の頃から新曲まで、馴染みのあるものないものを織り交ぜた構成となっている。昔の曲も、アコースティック編成でシンプルな編曲となっていて、とても新鮮だった。28ページにも渡るライナーノーツには、ジョーさん自身による解説が載っている。それぞれの曲にまつわる話、その曲を歌っていた頃の様子など、昔を知るものにとっては裏話的な内容がこれまた楽しい。

 7-8年位前だったと思うが、ようやくジョーさんが歌う姿を見ることができた。小室等さんが中心となったコンサートで、上条恒彦、森山良子や、武満徹つながりで渡辺香津美、鈴木大介などが一堂に会した豪華なものだった。初めて聴いた頃から30年近くたっていたが、そのうたごえの魅力は何ら衰えるところがなかった。憧れの人にようやく会えたというような感激があったのをよく覚えている。

 歌詞の持つ世界を大切に伝えようとすることを、歌い手は忘れてはいけないと思う。単に声の素晴らしさだけでなく、言葉によってより多くのものを、よりいっそう強く人々に訴えかけることができるのだから。 

June 03, 2006

●上田 正樹と有山 淳司: ぼちぼちいこか

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上田 正樹 (vo)
有山 淳司 (vo, g)
中西 康晴 (p)
藤井 裕 (b)
金子 マリ(chorus)
妹尾 隆一郎 (harm)

 昔から、音楽やオーディオなど興味のある分野については、関連する雑誌のほとんどに目を通すのが習慣になっている。特に音楽は、ミーハーなものを除けば、小学生の頃から主要な雑誌はほとんど見ているような気がする。最も、最近ではミーハーなものが多いので、手にする雑誌は限られたものとなってきている。

 このアルバムが発売された頃、今は廃刊になってしまった『新譜ジャーナル』や『Guts』といった雑誌に紹介されていたのは覚えている。当時は、アルバムの中から1-2曲、楽譜か歌詞プラスコード進行などが載っていることが多かった。たしか、「俺の借金、全部でなんぼや」という曲がのっていたように記憶しているが、歌詞だけを読むと完全なおちゃらけで、コミックバンドにしか思えず、聴いてみたいと思うこともなく忘れ去っていた。 
 そうこうしているうちに、気がつけば月日は流れ、上田正樹の名前は「悲しい色やね」の大ヒットで再び目にするようになった。おりしもAORブームが起こっていた時代ということもあり、都会的な大人の雰囲気のシンガーというイメージが、自分の中に植えつけられていった。

 ずっと忘れ去っていたアルバムを聴いてみようと思ったのは、有山淳司のギタープレイに関心があったからだ。少し泥臭いスタイルで、どんなギターを手にしても自分の音にしてしまう彼の演奏をたまたま見て、昔のものも聞いてみたくなったのだ。上田正樹の声も好きだったので、本作を手にしたのは自然の流れだった。
 「しまったぁ! もっと昔からちゃんと聴いておくんだったぁ」というのが最初の感想。確かに歌詞はコミカルな内容が多いが、演奏は素晴らしいし、コーラスもばっちり決まっている。何よりも、関西弁が実にブルースなどのスタイルにマッチしていて、ノリがよく、日本語の歌詞とは思えないほど。うまい人たちが、遊びの要素を持って楽しみつつ音楽をやっているのがなんともかっこよい。

 残念ながら、現在はこのCDは入手が難しくなっているようである。中古屋でリーズナブルな値段のものを見かけたらぜひとも手に入れてほしい。まだ、知らないうちに再発売となることも多々あるので、チェックをしておきたい。
 この時代で、ブルースの香りのする音楽を聴くのであれば、関西をベースに活動していた人たちのものは、絶対にはずせない。

 

May 01, 2006

●ゲルニカ: 改造への躍動

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戸川 純
上野 耕路
太田 螢一

 学生時代、一人暮らしをしているアパートの部屋に、あるとき友人のK君が一枚のレコードを持ってやってきた。レトロ調のジャケットデザインに「ゲルニカ」という聞いたことの無いユニット名。部屋にはレコードプレイヤーが無かったので、音楽好きの友人の部屋に出かけ、さっそく針を落としてみた。耳に飛び込んできたのは、昭和初期~戦後復興辺りの時期をイメージして作りこんだ音楽。他に類を見ないユニークさ。
 このときまで、私は戸川純のことをほとんど知らなかった。しばらくして、テレビドラマなどに出演している姿を見て、エキセントリックな雰囲気も含め、強烈な存在感が印象に残った。ただ、その演技の姿と、ゲルニカの歌い手としての姿はずいぶん印象が違う。演技では時として陰鬱な印象が強すぎる感もあったが、歌い手となると、時として朗々と、時として可憐なに、変幻自在の声色には、好き嫌いを越えてひきつけられずに入られないものを感じてしまった。
 K君とは学籍番号が近かったので、試験のたびに机を並べたが、あるとき、試験休みに旅行でも行こうかという話になった。お互いお金の無い学生だったこともあるが、彼が琵琶湖の湖岸近くの町の出身で昔から一度やってみたかったといっていた「琵琶湖徒歩1周」を敢行することになった。バイトの帰りに、大学近くの私の部屋にやってきたK君と、寝袋を背負って京都の街中を出発して、北上し、大原を抜けて「途中越え」というルートで琵琶湖の湖岸まで出る。そのまま、野宿をしながら3日かけて約210kmを歩いた。このアルバムをずっと聞いていたこともあり、二人で、「夢の山獄地帯」や「復興の唄」等を歌いながらひたすら歩く姿は、他の人からは異様に映ったかもしれない。無事に歩き終えて部屋に戻ると、足が腿の付け根から落ちてしまうのではと思うほど疲れきっていた。一息ついてテレビをつけると、当時マラソンの第一人者だった瀬古敏彦選手の様子を紹介しており、「瀬古選手は毎日70km走りこんでいます」と聞いて呆然。さらにどっと疲れが出たのはいうまでも無い。

 このアルバムのプロデュースには細野晴臣が参加。とても明確なコンセプトで作り上げている。ゲルニカとしては、この後に『新世紀への運河』『電離層からの眼差し』を発表し、いずれもユニークで質の高い音楽を聞かせてくれた。ただ、斬新さと完成度の高さでは、本作が一番ではないかと思う。戸川純も、『玉姫様』など個人名義での演奏や、ヤプーズというユニットでの演奏も面白いが、ゲルニカでは、非常に限定されたターゲットにすべてを集中させているのが痛快だ。

April 27, 2006

●南 佳孝: 摩天楼のヒロイン

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南 佳孝 (vo, g, p)
矢野 誠 (p, key)
林 立夫 (ds)
小原 礼 (b)
細野 晴臣 (b)
鈴木 茂 (g)
駒沢 裕城 (dobro, steel g)
松本 隆 (per, arr)

 中学生の頃、歌謡曲以外の音楽映像を唯一流していたのが、地元のTVK(テレビ神奈川)だった。川村尚が進行する洋楽のPVを流していた『ポップス・イン・ピクチャー』と、南佳孝が司会をしていた『ファンキー・トマト』というのが双璧の音楽番組。ファンキー・トマトでは、アシスタントに売り出したばかりの竹内まりあがついていた。湘南地方の番組らしく、サーフィンのコーナーがあったりと、当時の若者文化をフィーチャーしたものだったが、毎回、番組の最後に、南佳孝が弾き語りで1曲歌うのがとても気に入っていた。シンプルな編成で、パーカッションがついたり、キーボードのサポートがあったり、時にはラジという女性シンガーとのデュエットもあった。
 ちょうど、洋楽でもAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)と呼ばれるジャンルが出始め、ボズ・スキャッグスやボビー・コールドウェルなどがこのスタイルをリードしていた。邦楽はというと、フォークからニューミュージックへと移行している段階で、荒井由美(ちょうど結婚をして松任谷由美になったようなタイミング)や中島みゆきなどが、中心となって活動していた。そんな中、南佳孝はとても都会的なセンスで、独特の雰囲気を持っていた。それが、中学生や高校生の時期にはとてもかっこよく映り、大人の雰囲気の香りを楽しんだものだ。

 このアルバムのサポートメンバーを見ればわかるが、元はっぴいえんどの3人が要となっている。特に、松本隆は、本作がプロデューサーとして取り組んだ最初の作品である。その後、太田裕美を初め松田聖子などに数々の詞を提供し、ヒットメーカーとして大活躍することになるのは周知のことと思う。

 LPでの発売時点では、A面がHero Side、B面はHeroin Sideという構成だった。歌詞やアレンジも物語性を非常に意識しており、舞台上での演技を見ているかのように感じさせる仕上がりが面白い。ジャリッとしたした感触を聞かせるギターの音も新鮮で、決して密ではない音空間なのに、隙間を感じさせないのは不思議だ。

 その後、「モンロー・ウォーク」や「スローなブギにしてくれ」などで、メジャーヒットを飛ばすが、この人の持ち味は、弾き語りなどのシンプルなスタイルにあるような気がする。ただ、音を積み上げていくコンセプトで作り上げたアルバム『冒険王』は、別方向のものながらとてもいい。これは、いずれまた取り上げてみたい。

 2000年以降は、ボサノバの曲を演奏したりと、いい意味で力を抜きながらお気に入りのスタイルの音楽をやっているように感じる。今でも、湘南に拠点を置き、海の匂いを感じさせる南佳孝。一度は、生で演奏を見てみたいアーティストの一人だ。

April 19, 2006

●井上 陽水: II センチメンタル

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井上 陽水 (vo, g)
星 勝 (arr, g,)
安田 裕美 (g)
矢島 賢 (g)
竹部 秀明 (b)
高中 正義 (b)
稲葉 国光 (b)
田中 清司 (ds)
深町 純 (arr, p, key)
本田 竹廣 (p)
飯吉 馨 (p)

 ギターの入った音楽に没頭するようになったのは、井上陽水のアルバムを聞いてからだった。それ以前に、ギターに関心を持ったことはあったっけと、思い起こしてみると、小学校中学年の頃にさかのぼる。母親がある日、突然(のように私には思えた)ギターを買ってきたのである。たしかFujiというブランドのクラシックギターだった。
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 それと、多少前後したかもしれないが、一枚のレコードが我が家にやってきた。森進一の『影を慕いて』。古賀メロディーを若き森進一が歌い上げているものである。つまり、演歌のギターが、一番最初に原体験として刷り込まれたのだった。それでは、家にあったギターで演歌ギターの練習を始めたかというと、そうではなかった。とりあえず、手元にあったクラシックの教則本を見ながらポロポロと練習曲等を弾き始めただけだった。

 陽水の曲を初めて聴いたのもラジオからだった。『傘がない』というタイトルの曲は、まだ、学生運動や政治活動が盛んな時代に、彼女のところに行くのに傘がなくて困っているという内容の歌詞だった。当時は、社会問題について、関心がないこと自体が罪だと糾弾するような時代。その中にあって、社会で起こっていることよりも自分が傘を持っていないということを淡々と歌っていることが、あまりに衝撃的だった。
 一か月分のお小遣いを握り締め、レコード屋でシングル盤を買って、何度も何度も聞き返した。知り合いが、陽水のLPを持っているというので、借りてきてカセットに録音し、テープが伸びてしまうまで聴き続けた。当時、フォークのスターといえばまずあがったのがよしだたくろう。しかし、シンプルなコード進行に、直情的な歌詞をのせて、時には攻撃的に歌うたくろうは、がさつな感じがしてどうしても好きになれなかった。それに対し、陽水は、繊細で弱々しくはあったが、ディミニッシュコードなども用いたおしゃれなコード展開で、ギターのアレンジも秀逸、心の弱い部分を歌う独特の世界観に強い共感を覚えた。楽譜集を買ってきて、載っている曲を片っ端から練習したことは言うまでもない。

 このアルバムは、陽水名義でリリースした2作目。歌を邪魔せず、かといってきちんと存在感のあるギターのアレンジが実にすばらしい。陽水の歌声は、現在に比べるとはるかに繊細で、その歌詞から伝わってくる、今にも壊れてしまいそうな世界とぴったり合っている。陽水はある時期以降、カミングアウトをして、自ら屈折した部分を堂々と出すようになったが、この当時は、屈折したところを、自分でも疑問を感じながら、気持ちに正直に表現せずにはいられないという雰囲気が伝わってくる。歌詞は時として不条理なまでもの情景を述べる。『東へ西へ』での、”・・・電車は今日もすし詰め、(中略) 床に倒れた老婆が笑う・・・・”といった内容も、さらりと歌いながら、歌われているものはすさまじいばかりだ。当時は考えも及ばなかったが、今、改めてこの歌詞を読むと、まるでつげ義春のマンガにでも出てきそうな不条理の世界がイメージされるのは私だけだろうか。

 この頃のアルバムは、参加ミュージシャンのクレジットを見るのも楽しみのひとつ。星勝は元モップス(鈴木ヒロミツがボーカルをしていたグループ)で、陽水の初期からアレンジ全般を手がけている。その関係は現在でも続いているから、30年以上の長い関係というわけだ。リリースされたのが1972年だということを考えると、高中正義は成毛滋(当時は、グレコのギターを買うと、成毛滋のロックギター教則カセットか、竹田和夫のブルースギター教則カセットがついていたのが懐かしい)率いるフライド・エッグにベーシストとして参加していた時代なので、ギターではなくベースで参加しているのもおかしくない。深町純はその後、オールスターズというグループを率いて『オン・ザ・ムーブ』という名曲をヒットさせるし、本田竹廣(残念なことに、つい最近亡くなられた)は、フュージョンブームの中で、日本の旗頭となるべくネイティブ・サンを結成して一世を風靡する。
 これだけの実力派が脇を固めているので、やたら音を重ねているのではないのに、必要な音が必要な空間を満たしている。シンプルなスタイルの音楽が、ストレートに心に響く。