●NEWS●

アメリカを代表するギター製作家Ervin Somogyi氏が、8年間以上の年月をかけてギター製作についてまとめた本を2009年7月に刊行することになりました。『The Responsive Guitar』『Making the Responsive Guitar』の2冊で、Somogyi氏のHPより購入が可能です。従来のハウツー本とは異なり、具体的な作業についての言及のみならず、ギターを製作する上で理解しておくべき原理原則などを平易な表現でまとめた本書は、他に類を見ないものとなっています。著者のコメントにも「次世代の製作家たちにとってバイブルのようなものとなるだろう」とあるように、ギター製作に関わる人にはぜひとも読んでもらいたい本です。なお本書は全編英語のみですのでご注意ください。
またSomogyi氏自身のナレーションによるプロモーションビデオがYouTubeに公開されていますのであわせてご覧ください。

Ken Oya Acoustic Guitarsの音は以下のCDでお聴きいただくことができます。

伊藤賢一さん
最新作『かざぐるま』ではModel-Jを、3rdアルバム『海流』ではModel-FとModel-Jにて演奏されております。

竹内いちろさん
1stアルバム『竹内いちろ』で全曲Model-F(12Fjoint仕様)を使っていただいております。

押尾コータローさん
2008/1/1リリースの『Nature Spirit』に収録されている「Christmas Rose」でModel-Jを弾いていただいています。

May 06, 2006

●Martin Simpson: Leaves of Life

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Martin Simpson (g)
Eric Aceto (violect Mandolect)

 Ervinの工房で修行をしていたとき、何人かに素晴らしいギタリストと出会うチャンスがあった。マーティン・シンプソンもその中の一人。1999年当時は、カリフォルニアからニューオリンズへと移り住んでいたが、ベイエリア(サンフランシスコ近辺)でイベントがあると、Ervinのところへいつも顔を出してた。英語特有の表現ではあるが、Ervinはマーティンのことをとてもリスペクトしていて、「彼と同じ空気を吸っていると思うだけで、光栄だ」」といつも言っていたことを思い出す。

 イングランド生まれのマーティンは、ケルト音楽など、伝統的なものをベースにしつつも、アメリカのブルースやカントリーの要素も加えた独特のスタイルを作り上げた。最初に手にしたのはバンジョーで、時折、弦をはじくようにしてパーカッシブな効果を狙ったギターの弾き方も、クローハンマースタイルというバンジョーの奏法を元にしたものだという。ちょっとダミ声っぽいボーカルも魅力的だが、やはりすごいのはギター演奏そのもの。情感のこもったスローな曲から、クローハンマーを駆使したドライブ感あふれるものまで、とても多彩でまったく飽きさせることが無い。本作は、Shanachieレーベルから出した最初のアルバムで、ギターの魅力を前面に押し出したもの。ちなみにエリックの演奏しているViolectとMandolectとは、彼のオリジナルデザインの楽器で、エレクトリック化をした、バイオリンとマンドリン。いずれも、エリック自身が製作したものだという。

 現在は、ニューオリンズを離れ、再びイングランドを拠点に活動をおこなっているマーティン。奥さんのジェシカとのおしどり夫婦ぶりも、とても素敵で、一緒に演奏しているアルバムもいい。彼の演奏を聴くと、「天賦の才」の意味がしっかりと伝わってくる。

May 04, 2006

●Joyce: Feminina/Agua e Luz

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Joyce (vo. g)


 音楽をジャンル分けすることに意味はほとんど無いのだが、どこの音楽が一番好きかといわれると、「ブラジル」と答えたくなる。知らないうちに耳に飛び込んできたボサノバなどを別にすれば、一番最初にブラジル出身プレイヤーの音楽として意識しながら聞いたのは、エウミール・デオダートの『ツラトゥストラはかく語りき』だった。おなじみのメロディを、とてもおしゃれなコードワークとリズムでまったく違うものに仕上がっていてとってもかっこよかったことを覚えている。その後、ボサノバを含めたギターものにもだんだんと自分から手を伸ばしていき、素晴らしいプレイヤーをどんどんと知るようになる。

 ジョイスは、60年代終わり頃から活動を続けているブラジルの女性アーティストの中心人物の一人。本作は80年発表の『フェミニーナ』と81年発表の『水と光』のLP2枚を、1枚のCDに収録したもので、初期の代表的な作品。残念ながらパーソネル(参加ミュージシャン)はわからなかった。時にしっとりと、時に縦横無尽に駆け回るようなジョイスの歌とスキャットは、今聴いてもまったく色あせていない。
ジョイスの声は、透明感がありながら「ざらついた」テクスチャーを感じる。心地よくすっと入ってきて、すっと出て行くのではなく、ざらついた部分が自分の中に引っかかっていくような感じなのである。

 90年代に入ると、ロンドンでのクラブシーンでジョイスの人気が再び高まり、日本のクラブなどでもさかんにこのアルバムの曲がかけられるようになった。ちょうどこの頃、来日したジョイスを見にブルーノート東京に出かけたことがあったが、観客には若い20代前半の人が目立っていたのにはビックリした。このときは、ギターにトニーニョ・オルタをひきつれてという豪華な布陣で、ステージ中央にスッと立ったジョイスはとてもかっこよかった。定番のナンバー「Samba de Gago」では、観客と一体となったスキャットで雰囲気は最高潮。日ごろクラブシーンにはほとんど関心を持っていないが、どんな形にせよ、いい音楽を知るきっかけとなるのであれば、それもまた良しという思いを強くした。

May 02, 2006

●John Williams: From The Jungles of Paraguay

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John Williams (g)

 クラシック・ギターを現在のような形まで引き上げた最大の功労者は、アンドレス・セゴビアである。それまでは、ギターは小さい空間でのみ演奏される楽器という認識しかなかったが、ギター製作者、作曲家たちに積極的に働きかけ、コンサートホールでの演奏に耐えうる楽器と、ギターの特性を生かしたレパートリーの拡大に、尽力したその功績は計り知れないものがある。同時に、後進の教育にも非常に熱心で、彼の元から数々の素晴らしいギタリストが誕生した。
 ジョン・ウィリアムズはオーストラリア生まれ。ジャズ・ギタリストの父親の影響もあり、幼い頃からギターを弾き始める。その後、イギリスのロンドンへ移り住み、14歳の頃にロンドンのコンウェイ・ホールで演奏しているのをセゴビアに認められ、ロンドンの王立音楽院で学ぶ一方、セゴビアの元でも研鑽を積んでいった。ジョンはセゴビアの教えを受け、もっとも成功した一人として知られることになるが、世界各地を演奏してまわるにつれ、クラシックの範疇にとどまらず、さまざまなジャンルの音楽エッセンスを吸収していく。厳格に自分の教えを受け継いでいくことをよしとしていたセゴビアとの間に、何らかの考え方の相違が生まれてきたとしてもおかしくは無い。事実、ジョンは、自分の技術の中で、師事してきたセゴビアをはじめとする指導者たちから学んだものの割合は、決して大きいものではないともいっている。

 クラシック・ギターへの計り知れない貢献をした一方で、セゴビアによって、長らく日の目を見ることができなかった面もある。本作は、パラグアイの作曲家アウグスティン・バリオスの作品集で、最近では『大聖堂』などは、クラシックのレパートリーとしてもポピュラーになってきている。しかし、セゴビアはバリオスの曲を「演奏するに足らぬつまらぬもの。彼の曲を演奏するくらいなら、他に弾くべき曲は山ほどある」と酷評していた。セゴビアがクラシック・ギター界の中心で力を振るっていた時代には、バリオスの曲を演奏するプレイヤーは数えるほどだったという。
 リリカルで、哀愁を帯びたバリオスのメロディ・ラインは、ナイロン弦の音色と相まって際立った美しさを見せる。ジョンの非常にシャープで輪郭のたった演奏は、バリオスの曲を演奏している録音の中でも、トップクラスの仕上がりだと思う。彼が愛用しているのは、オーストラリアのグレッグ・スモールマンという製作家のギター。通常のクラシック・ギターと比べて、表面版の補強の仕方がまったく異なるスモールマン・ギターは音の立ち上がり方が独特で、ジョンの演奏スタイルを特徴付ける要素として、今や欠かせぬものとなっている。

 ジョンは80年代には、ポピュラー音楽演奏にもかなり力を入れ、自らSKYというグループを結成する。こちらでは、ピックアップを内蔵したオヴェイションのナイロン弦モデルを使い、バンド編成での演奏をおこなっていた。この頃、クラシック・ギターの演奏をほとんど耳にしていなかった私だが、「クラシック・ギター界の貴公子がフュージョン音楽を演奏する!」といったようなキャッチコピーで宣伝していたことは覚えている。ただ、クラシックのファンからは、この時代については「非常に無駄な回り道をした」という厳しい声が多い。

 ジョンの演奏するナイロン弦ギターの音をポピュラーなものにしたのは、マイケル・チミノ監督の『ディアハンター』のメインテーマとして使われた、「カヴァティーナ」の演奏だろう。ナイロン弦ギターを手に入れたら、この曲を練習して弾けるようになりたいと思いながら、ずいぶんと長いことたってしまったが・・・。

May 01, 2006

●ゲルニカ: 改造への躍動

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戸川 純
上野 耕路
太田 螢一

 学生時代、一人暮らしをしているアパートの部屋に、あるとき友人のK君が一枚のレコードを持ってやってきた。レトロ調のジャケットデザインに「ゲルニカ」という聞いたことの無いユニット名。部屋にはレコードプレイヤーが無かったので、音楽好きの友人の部屋に出かけ、さっそく針を落としてみた。耳に飛び込んできたのは、昭和初期~戦後復興辺りの時期をイメージして作りこんだ音楽。他に類を見ないユニークさ。
 このときまで、私は戸川純のことをほとんど知らなかった。しばらくして、テレビドラマなどに出演している姿を見て、エキセントリックな雰囲気も含め、強烈な存在感が印象に残った。ただ、その演技の姿と、ゲルニカの歌い手としての姿はずいぶん印象が違う。演技では時として陰鬱な印象が強すぎる感もあったが、歌い手となると、時として朗々と、時として可憐なに、変幻自在の声色には、好き嫌いを越えてひきつけられずに入られないものを感じてしまった。
 K君とは学籍番号が近かったので、試験のたびに机を並べたが、あるとき、試験休みに旅行でも行こうかという話になった。お互いお金の無い学生だったこともあるが、彼が琵琶湖の湖岸近くの町の出身で昔から一度やってみたかったといっていた「琵琶湖徒歩1周」を敢行することになった。バイトの帰りに、大学近くの私の部屋にやってきたK君と、寝袋を背負って京都の街中を出発して、北上し、大原を抜けて「途中越え」というルートで琵琶湖の湖岸まで出る。そのまま、野宿をしながら3日かけて約210kmを歩いた。このアルバムをずっと聞いていたこともあり、二人で、「夢の山獄地帯」や「復興の唄」等を歌いながらひたすら歩く姿は、他の人からは異様に映ったかもしれない。無事に歩き終えて部屋に戻ると、足が腿の付け根から落ちてしまうのではと思うほど疲れきっていた。一息ついてテレビをつけると、当時マラソンの第一人者だった瀬古敏彦選手の様子を紹介しており、「瀬古選手は毎日70km走りこんでいます」と聞いて呆然。さらにどっと疲れが出たのはいうまでも無い。

 このアルバムのプロデュースには細野晴臣が参加。とても明確なコンセプトで作り上げている。ゲルニカとしては、この後に『新世紀への運河』『電離層からの眼差し』を発表し、いずれもユニークで質の高い音楽を聞かせてくれた。ただ、斬新さと完成度の高さでは、本作が一番ではないかと思う。戸川純も、『玉姫様』など個人名義での演奏や、ヤプーズというユニットでの演奏も面白いが、ゲルニカでは、非常に限定されたターゲットにすべてを集中させているのが痛快だ。

April 30, 2006

●Pentangle: Basket of Light

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Terry Cox (ds, vo)
Jacqui McShee (vo)
Bart Jansch (g, vo)
John Renbourn (g, vo)
Danny Thompson (b)

 今まで聞いていなかったものを聴くようになるきっかけはさまざまだが、私の場合、自分の好きなプレイヤーが影響を受けた音楽に手を伸ばすというパターンが多い。1960年代のブリティッシュ・フォークへと導いてくれたのは、ポール・サイモンである。ご存知のように、ポールは、サイモン&ガーファンクルとして、1960年代前半から1970年までの間、数々のヒットを飛ばしたスーパーデュオである。
 S&G名義のアルバムに唯一入っていたポールのギターインスト曲が「Anji」だった。昔は、この曲を完璧に弾ければプロになれるといううわさまで流れた曲である。そのポールが、影響を受けたのがバート・ヤンシュの「Anji」であったり、もともとの作曲者のデイヴィー・グレアムであったりという情報が耳にはいると、バーとを追っかけておくと行き当たったのが、ペンタングルである。ジョン・レンボーンとバート・ヤンシュという素晴らしいギタリスト二人を擁するというグループとのイメージが強かったが、ジャッキー・マクシーのボーカルの独特の存在感が際立っているのに圧倒された。
 ペンタングルとしては、デビューアルバムの評価も高いが、実験的な取り組みもある本作は、このグループの最高傑作の名に恥ずかしくない仕上がりであろう。ジャズやブルースに繋がる要素と、ケルト音楽の影響が複雑に交じり合った音楽は、イギリスの独特のどんよりとした気候を肌で感じさせるものを持っている。アメリカルーツのブルースとは根本的に違いつつも、「これもやはりブルース」と思わせるところは、音楽としての芯の強さなのかもしれない。
 伝統を継承しつつも、革新的なものに取り組むペンタングルの斬新さは、力強く、聴くものにせまってくる。