●NEWS●

アメリカを代表するギター製作家Ervin Somogyi氏が、8年間以上の年月をかけてギター製作についてまとめた本を2009年7月に刊行することになりました。『The Responsive Guitar』『Making the Responsive Guitar』の2冊で、Somogyi氏のHPより購入が可能です。従来のハウツー本とは異なり、具体的な作業についての言及のみならず、ギターを製作する上で理解しておくべき原理原則などを平易な表現でまとめた本書は、他に類を見ないものとなっています。著者のコメントにも「次世代の製作家たちにとってバイブルのようなものとなるだろう」とあるように、ギター製作に関わる人にはぜひとも読んでもらいたい本です。なお本書は全編英語のみですのでご注意ください。
またSomogyi氏自身のナレーションによるプロモーションビデオがYouTubeに公開されていますのであわせてご覧ください。

Ken Oya Acoustic Guitarsの音は以下のCDでお聴きいただくことができます。

伊藤賢一さん
最新作『かざぐるま』ではModel-Jを、3rdアルバム『海流』ではModel-FとModel-Jにて演奏されております。

竹内いちろさん
1stアルバム『竹内いちろ』で全曲Model-F(12Fjoint仕様)を使っていただいております。

押尾コータローさん
2008/1/1リリースの『Nature Spirit』に収録されている「Christmas Rose」でModel-Jを弾いていただいています。

May 31, 2007

●James Taylor: Mud Slide Slim And The Blue Horizon

JamesTaylor_Mud.jpg

James Taylor (vo, g, p)
Russ Kunkel (ds, per)
Leland Sklar (b)
Carole King (p, chorus)
Danny Kootch (g, per)
Peter Asher (produce, per, chorus)
Joni Mitchell (chorus)
Kevin Kelly (accordian, p)
John Hartfor (banjo)
Richard Greene (fiddle)
Kate Taylor (chorus)

ジェイムス・テイラーの音楽に最初に接したのは中学生のときだった。CSN&Yの紹介でも触れたが、中学のときに通っていたギター教室で取り上げたのがきっかけである。スリーフィンガー奏法を徐々にマスターしてきたこともあり、「これで大抵のフォーク曲は弾けるだろう」と思い上がっていたころでもあった。

教室で習う順番からすると、スリーフィンガーはアルペジオ奏法よりも若干高度なテクニックと感じていたため、ジェイムスの譜面をもらったときに最初に思ったのは、「なんだぁ、アルペジオかぁ」ということだった。

ところがどうしてどうして、弾いてみると単純なアルペジオではなく、なかなか上手くできない。それまでの定型パターンのものとは違い、メロディやコード進行に併せて、実に効果的なオカズが入っているのだ。彼の曲を何曲か練習していくにしたがい、入れているオカズのフレーズは比較的手癖のようなものだと気付くのだが、それはずいぶん後になってからだった。

歌伴のギターとしては、今なお最高峰の演奏だと信じてやまない。歌とよく絡みつつでしゃばりすぎつ、かといってちゃんと存在感もある、こんなギターを弾くことができる人は滅多にいないだろう。
カントリー的な要素とジャジーな雰囲気とブルースの香りも感じるギタープレイは、今聴いてもとても新鮮だ。

当時、愛用していたのはギブソンのJ-50というモデル。ギブソンのアコースティック・ギターはかなり個体差が大きいこともあるが、私自身、何本か試奏したことはあるものの、ジェイムスのような音のものには一度たりとも出会ったことがない。あの独特の音は、ギターそのものというよりも彼のプレイによるところが大きいような気がする。

東海岸ボストン生まれのジェイムスは、1968年に最初のソロ名義のアルバムを、ビートルズのアップルレコードレーベルからリリースする。専門家の間では注目されたものの、商業的にはまったく振るわず、失意のままプロデューサーのピーター・アッシャー(本アルバムでもプロデュースをしている)とともにアメリカに戻り、カリフォルニアに拠点を置いて活動をおこなっていく。

1970年にリリースした2作目『Sweet Baby James』(これはいずれ別途紹介したい)で成功を収め、瞬く間にシンガーソングライターとしての地位を確立する。メッセージ性の強いプロテスト・ソングを歌っていたピート・シーガーやボブ・ディランなどとは一線を画し、日常的なことや恋愛などを繊細に歌い上げるシンガーソングライターは?というと、真っ先にあがるのがジェイムスだろう。

本作は1971年に発表した第3作。楽曲の構成、バリエーションともに素晴らしく、大変聴き応えがある。ギターや歌、コーラスなどを分析していくと、勉強になる点も多いが、そんなことを意識せず、音楽にどっぷりと浸かるのが最高の楽しみ方だろう。

初期から最新のものまで、音楽のスタイルにいろいろと変化はあるものの、駄作がなくどれをとっても素晴らしいものとなっている。初めて聴いても、なんとなくなつかしい香りがし、それでいて飽きさせないものがある。これこそがジェイムスのマジックなのかもしれない。

現在も変わらぬ歌声で、ライブも含めた活動を積極的におこなっている。日本のギタリストやシンガーソングライターが、彼の影響を強く受けたと語っているのが多いのもうなづける。

March 27, 2007

●Sergio & Odair Assad: Saga dos Migrantes

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Sergio Assad (g)
Odair Assad (g)

 コンスタントに活動をしているクラシック・ギターのデュオでは、まず紹介しなければいけないのがアサド兄弟だろう。兄セルジオと弟オダイルは4歳違い。自らたちを「4歳離れた一卵性双生児」と称することもあるが、その言葉通り、完璧なアンサンブルには思わずため息が出てしまうほどだ。

Assad_alma.jpg アサド兄弟のことを知ったのは、ある雑誌にギタリストの渡辺香津美氏が、今一番気になっているギターアルバムとしてアサド兄弟の『ブラジルの魂』をあげていたからだ。このアルバムには、ジョン・マクラフリンとパコ・デ・ルシアの演奏で有名になった、エグベルト・ジスモンティ作「Frevo」が入っていて、今回紹介する作品と甲乙つけがたい名盤といえよう。

 ギターものはほとんどなんでもといっていたわりには、クラシック関係はほとんど聴いていなかった当時、「香津美さんが薦めるくらいだから・・・」と手に入れて聴いてみたところ、何となくピンと来なかったというのが正直な感想だった。アンサンブルの凄さは十分わかるのだが、生ギターのアンサンブルといえばスーパー・ギター・トリオ系のものを愛聴していた耳には、何だが音が遠く、きれいにまとまりすぎているような感じがしたのだった。
 それでも、何度も聴き続けているうちに、だんだんとその素晴らしさがわかってくるようになる。なんといっても特筆すべきは、タッチである。二人のつむぎ出す音の立ち上がりの見事なこと。あまりに流暢なので、さらった聞き流してしまいそうなフレーズも、大きな流れの抑揚がしっかりあるのだ。

 二人の愛器は、ニューヨーク在住のトーマス・ハンフリー作のもの。トムはギターの表面板に対して指板の位置を上げるレイズド・フィンガーボードというシステムを普及させた張本人。最近では、日本の製作家でもこのスタイルを用いている人がいる。表面板裏のブレイシングと呼ばれる補強兼音響コントロール部材にも、独自の工夫が施されていて、彼の楽器の音の立ち上がりの素晴らしさは誰もが認めるところであろう。
 ギター専門誌のインタビューで、表面板を含めた音作りの考え方を語っていた記事は、アメリカにいるときに熟読したものだった。東海岸在住ということで会うチャンスがなかったが、いつかは会ってみたい製作家の一人だ。

 アサド兄弟は、バッハに始まり、古典的なレパートリーの演奏も素晴らしいが、やはり「南米モノ」を弾かせると、並ぶものがないほどだ。本作では、クラシック・ギタリストがレパートリーとしていることの多いピアソラ、ヴィラ=ロボスをはじめとし、セルジオ・アサド自身の曲や、ブラジルの異才エグベルト・ジスモンティの曲も取り上げている。作曲のみならず、セルジオの編曲センスも素晴らしく、あたかもギター曲であったかのような素晴らしいアレンジを、このアルバムでもじっくりと堪能できよう。

 毎年といっていいくらい来日を重ねているアサド兄弟。次に日本に来たときには、ぜひともコンサートに足を運ぼうと思う。

 ちなみに、このジャケットの写真は、Joel Meyerowitzによるもの。彼の代表作ともいえる、ケープコッド湾で撮影した写真集もよく眺めたものだ。カラーでのスナップ的な風景写真の先駆者であるが、彼独特の雰囲気が、このジャケット写真からも伝わってくる。

March 24, 2007

●Barney Wilen: Sanctuary

BarneyWilen_Sanctuary.jpg

Barney Wilen (ts, ss)
Philip Catherine (g)
Palle Danielsson (b)

 フランス、ニース生まれのバルネ・ウィランが一般に広く知られたのは、1950年代に公開されたフレンチ・ヌーベルバーグの一翼を担っていたルイ・マル監督の『死刑台のエレベータ』のサントラ盤に参加してからだろう。音楽を担当したのはマイルス・デイヴィスで映画のフラッシュバックを映しながら即興で音楽をつけていったという逸話もあるようだ。ここで、派手さはないものの、なぜだか心に引っかかるようなバルネのサックスに惹かれた人も多かったという。

 50年代のパリにはマイルス以外にも、バド・パウエル、ベニー・ゴルソンなどアメリカのジャズメンが集い、クラブ・サン・ジェルマンなどで演奏をしていたこともあり、バルネはマイルスとのつながりを持ち、映画のサントラ盤に参加したわけである。その後もロジェ・ヴァディム監督『危険な関係』(1988年にはハリウッドでリメイクされている)のサントラ盤を自ら手がけた。

 ジャズシーンで注目されたにもかかわらず、60年代に入るとロック色の強い演奏へと移行し、その後は音楽シーンからだんだんと離れてしまったのだが、80年代後半から再びジャズ演奏の場へと戻ってくる。本作は、1991年録音の作品。当時のレギュラー・クァルテットとは異なり、ギターのフィリップ・キャサリーン(カテリーン)とベースのバレ・ダニエルソンによる変則的なトリオ編成。
 サックスを中心にしたトリオ演奏だと、ソニー・ロリンズのピアノレス・トリオ(サックス、ベース、ドラムス)の編成が真っ先に思い浮かぶ。音楽の3要素が、メロディ、和音(コード)、リズムであることを考えれば、単音楽器のサックスは、バッキングに回ってコード感を出すのはかなり難しいといえよう。それでも、上手いオブリガードで雰囲気を出すものもあるが・・・。サックス、ベース、ドラムであれば、ドラムはリズムを刻み、通常はリズム隊とも言われるベースは、分散和音の形でコード感を作り、サックスが旋律を奏でることで、3つの要素を積み上げることは可能だ。
 これに対し、今回のバルネの編成では、リズムの核となる楽器がない。ギターは時としてバッキングによってリズムを刻み、オブリガードを入れたりと、八面六臂の活躍が求められている。フィリップは、そんな状況でも実にリラックスしながら、時にリズム、時にはメロディ、時にはコードをとすべての要素を紡いでいる。

 サックス、ピアノ、ベース、ドラムというクァルテット編成を基準と考えると、必要な要素が常に音空間に満たされているという点で、オーケストラ的と表現できるとしよう。これに対して、今回のような変則トリオでは、常に必要なものを満たすことは不可能である。つまり、最初からすべてを満たすことなどは狙わず、本当に必要なものを必要なだけ埋めていくという感覚で、先ほどのオーケストラ的という表現との対比で考えれば、弦楽四重奏的と言ってもよいように思う。

 マイルスの音楽監督のもとでの演奏の頃の印象と同じように、本作でもバルネのサックスは決して派手ではない。聴く者に極端な集中を強いるわけではないのに、さらっと聞き流させないような音楽。それがバルネの変わらぬ魅力なのかもしれない。残念なことに、このアルバムに限らずバルネの作品はなかなか入手しにくいようである。再発売されると嬉しいのだが・・・。

February 25, 2007

●サディスティック・ミカ・バンド: 黒船

SadisticMikaBand_black.jpg

加藤 和彦 (vo. g)
加藤 ミカ (vo)
小原 礼 (b, vo, per)
高橋 幸宏 (ds, per)
今井 裕 (key, sax)
高中 正義 (g)

 最近、木村カエラをボーカルに迎え、コマーシャルがきっかけで活動を再開したサディスティック・ミカ・バンド。以前桐島かれんをボーカルで参加させたときに比べれば、遥かにいい感じに仕上がっているが、やはりオリジナル・メンバーによるものからまず聴いてほしいものだ。

 加藤和彦といえば、フォーク・クルセイダースのイメージが強かったが、イギリス志向の飛び切りポップなミカ・バンドが出てきたとき、それまでとの方向性の違いにびっくりしたものだった。メンバー一人ひとりは、スタジオミュージシャンとしても活躍していた猛者ばかり。当時の奥さんだった加藤ミカの決してうまいとはいえないがなんともいえない味のあるボーカルと相まって、強烈な存在感を放っていた。

 そんなミカ・バンドがロンドンから敏腕プロデューサー、クリス・トーマスを迎えて製作したのが本作である。クリスはピンク・フロイドをはじめとするプロデュースで活躍していて、イギリスで最も有名なプロデューサーの一人といってもよかった。そんなクリスが日本という地の果てのロック・バンドのプロデュースをするというニュースに、誰しもが驚いた。イギリス、ロンドン志向の強かったことにくわえ、日本語でのロックには抵抗が強かった日本国内の市場に対する反発心もあったかもしれないが、このアルバムを製作した翌年には、イギリスを代表するバンド、ロキシー・ミュージックのロンドン公演で前座を務め、大反響でロンドンっ子たちに迎え入れられる。
 当時、私はまだ中学生だったが、なんとなくこれからの音楽はロスやニューヨークだろうという雰囲気を掴み取っていたので、「何でいまさらイギリス? ロンドン??」という気持ちが強かったことをよく覚えている、もちろん、その後、ロンドンからパンク・ムーヴメントが起こることなどは、まったく想像していなかった。

 まるでワイドショーネタだが、クリス・トーマスはこのアルバムのプロデュースがきっかけで、加藤ミカと不倫関係になり、その後、加藤和彦とミカは離婚し、バンドは解散となる。ミカは単身イギリスに渡り、クリスとしばらく生活を共にすることになる。今井裕、高橋幸宏、高中正義、そして小原礼にかわってベースで参加していた後藤次利の4人は、新たにサディスティックスと名前を変え、インストのバンドとしてしばらく活動をおこなっていった。

 この時代、日本語のロックはノリが悪いといわれていたが、そんな声を払拭するほど完成度が高かったのが、若干年代が前後するものの、はっぴいえんどとこのミカ・バンドだったと思う。片やアメリカ的、もう片方はイギリス志向という違いも、今になってみるととても興味深い。アルバムのストーリー立ても含め、綿密に練られた音楽は、クリスの力を借りているとはいえ、やはり加藤和彦の力だろう。アルバムを通して聴くと、一つのショーを観に行ったようなイメージが残るのが面白い。

 ギターの高中正義に関しては、サディスティックス~ソロの初期の演奏を一時期聴きまくっていた頃がある。高校生の頃はひたすらコピーをして、文化祭でバンド演奏をしたときにも3曲ほど取り上げるほどの入れ込みようだった。この頃のエピソードについては、いずれ高中のアルバムを取り上げるときにでも紹介してみたい。

January 31, 2007

●Steps: Smokin' in the Pit

Steps_smokin.jpg

Mike Mainieri (vib)
Michael Brecker (ts)
Steve Gadd (ds)
Don Grolnick (p, key)
Eddie Gomez (b)
渡辺香津美(g)

 残念なことに、昔からよく聴いていたプレイヤーの訃報を耳にすることがだんだんと多くなってきた。中には、「まさか、まだ若いのに」と思う人も少なくない。サックスのマイケル・ブレッカーもそんな一人だ。
 昨年、骨髄異形成症候群という診断が下され、予定されていたSteps Ahead(Stepsというグループ名は使用できなくなったためのちにSteps Aheadと改名した)のツアーをすべてキャンセルして、闘病生活を送っていたというマイケル。白血病へと進行することの多い病気で、マイケルは骨髄移植による治療を試みようとしていたが、特殊な型だったせいもあり、家族を含めドナーが見つからなかった。そして、残念なことに今年の1月13日、ニューヨークで亡くなった。一部には快方に向かっているという情報も流れ、レコーディングもおこなっているという話もあっただけに、本当に残念だ。

 私が音楽を聴くのに没頭していて、そして多感だった10代後半、アメリカを中心にジャズとロックを融合したようなフュージョンと呼ばれるスタイルの音楽が台頭してきた。そのとき、めきめきと頭角を現してきたのが、トランペットの兄ランディとテナー・サックスの弟マイケルの二人によるブレッカー・ブラザースであった。70年代後半から80年代初めにかけて、ニューヨークをベースにしているテクニシャンぞろいのプレイヤーたちと繰り広げるインタープレイは素晴らしいものがあった。当時、ラリー・コリエルに入れ込んでいたこともあり、彼とよく共演もしていたブレッカー・ブラザースの二人の演奏は、よく耳にすることになっていた。

 さて、そこでStepsである。リーダー格のマイク・マイニエリの元に集まった凄腕ミュージシャンによるユニットだけに、きわめて質の高い演奏が繰り広げられることは容易に想像できよう。
 実は、このSteps、ファーストと2枚目に当たるこのアルバムは、日本のみで当初は発売された。当時、フュージョンのプレイヤーにとっては聖地とも言える六本木のライブハウス、ピット・インでのこのライブでは、アルバム『トチカ』以来、マイクと親交の深かった渡辺香津美がゲストとして1曲参加している。とある雑誌に、当時を振り返って渡辺香津美がコメントしているのを見ると、プレイヤーたちにとってこのユニットがいかにすごいものであったかがわかる。

  このときは久々に胃が痛くなった(笑)。・・・(中略)ニューヨークの
  超第一線級のミュージシャンに交じって、マイニエリのバンドの
  一員としてベスト・プレイをしなければいけない。何がびっくりし
  たかって、早めに会場に行くとすでにマイケル・ブレッカーがい
  て、バリバリ練習している。こんな上手い人がマイニエリのツ
  アーでやるっていうので、必死にトレーニングをしている。すると
  今度はエディ・ゴメスがやって来て、弓で1~2時間基礎練習をや
  る。凄い人は準備も凄いんだよ。」

 テクニックのあるプレイヤーたちが、とてつもなく高い緊張感を持って望むライブ。いかに凄かったかは想像して余りある。もちろん、ユニットとしてはマイク・マイニエリがキーパースンなのは間違いないが、決してでしゃばりすぎず、かといってしっかりとユニットの音楽性をさせえているという点で、ドン・グロルニクの存在が非常に重要のように感じる。
 このアルバムはどの曲もお勧めだが、1曲を選べといわれれば迷わずラストのSara's Touchを上げたい。マイクが書いた名曲だが、マイケルのサックスの音が聴く人の心をがっしりと掴むスローナンバーである。

 最後に少し話をマイケルに戻したい。70年代後半、フュージョンを代表するサックスプレイヤーとして評価が高かった一方、4ビートのスタンダードなジャズはダメだろうと厳しい意見をいう人たちがいたことも確かだった。しかし、そんな声を吹き飛ばすかのように、Stepsでかなりジャズよりの素晴らしい演奏を披露し、さらには、80年代に入ってしばらくした後、チック・コリアとともに素晴らしい4ビートジャズの演奏を繰り広げていくことになる。こちらもいずれ取り上げることにしよう。
 サックスというとむせび泣くような情感たっぷりの音というイメージもあるが、マイケルは、決して感情に流されすぎることなく、常にクールな部分が残っていると感じさせるような演奏がとても印象的なプレイヤーだ。もちろん、ハードなブローもあるのだが、いわゆる泣きのフレーズなどは決して交えないのがとても潔い。
 ストレートアヘッドな、メインストリームのジャズを別にすれば、コンテンポラリーなスタイルのジャズは昔で言えば、フュージョンと呼ばれていた音楽の要素を何らかの形で含んでいたり、少なくとも影響を受けているものが多いと思う。そういった点から、ステップスというグループは、フュージョンという音楽をジャズの一つのスタイルとして結びつけた立役者といってもよいだろう。そして、ジャズでの花形がサックスであるとすれば、このユニットの音楽でマイケルが果たした役割の大きさは決して過小評価されるべきものではないだろう。

 息を引き取る2週間前にスタジオ入りをして遺作となるアルバムを完成させていたマイケル・ブレッカー。謹んで、彼のご冥福をお祈りしたい。