●NEWS●

アメリカを代表するギター製作家Ervin Somogyi氏が、8年間以上の年月をかけてギター製作についてまとめた本を2009年7月に刊行することになりました。『The Responsive Guitar』『Making the Responsive Guitar』の2冊で、Somogyi氏のHPより購入が可能です。従来のハウツー本とは異なり、具体的な作業についての言及のみならず、ギターを製作する上で理解しておくべき原理原則などを平易な表現でまとめた本書は、他に類を見ないものとなっています。著者のコメントにも「次世代の製作家たちにとってバイブルのようなものとなるだろう」とあるように、ギター製作に関わる人にはぜひとも読んでもらいたい本です。なお本書は全編英語のみですのでご注意ください。
またSomogyi氏自身のナレーションによるプロモーションビデオがYouTubeに公開されていますのであわせてご覧ください。

Ken Oya Acoustic Guitarsの音は以下のCDでお聴きいただくことができます。

伊藤賢一さん
最新作『かざぐるま』ではModel-Jを、3rdアルバム『海流』ではModel-FとModel-Jにて演奏されております。

竹内いちろさん
1stアルバム『竹内いちろ』で全曲Model-F(12Fjoint仕様)を使っていただいております。

押尾コータローさん
2008/1/1リリースの『Nature Spirit』に収録されている「Christmas Rose」でModel-Jを弾いていただいています。

April 28, 2006

●Pierre Bensusan: Musiques

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Pierre Bensusan (g, mandolin, vo)

 久しぶりにギターソロのアルバム紹介となるが、前回のラルフ・タウナーはナイロン弦ギターがメインだったのに対し、こちらはスティール弦。このスタイルの音楽をどのジャンルに入れるかはいつも悩むところだが、アメリカなどではNew Ageにカテゴライズされるのが一般的だった。ニューエイジという言葉には少し抵抗があるが、とりあえず、ここでもそのカテゴリーに入れることにしよう。

 ピエールはアルジェリア生まれのフランス人。ボブ・ディランの歌で英語を覚え、弾き語りを始めたという。その後、ジョン・レンボーン、バート・ヤンシュという素晴らしい二人のギタリストが在籍していた、伝説的なブリティッシュ・フォーク・ロックのグループ、「ペンタングル」に惹かれ、ケルト音楽などの影響も取り込んでいくようになる。

 このアルバムは、今では彼のトレードマークといってよいDADGADと呼ぶ変則チューニングで、全編演奏されている。このチューニングは、アイリッシュやブリティッシュ・フォークなどのプレイヤーがよく用いており、独特の雰囲気を作り出すものだ。ただ、ピエールは、このチューニングの持つ古典的なイメージを超え、コンテンポラリーな曲想にもうまくフィットさせている。ライブで、比較的インプロビゼーション色の強い曲を演奏すると、ケルト音楽の影響に、アフリカのリズムがのったようなフレーズが見られる。彼のルーツを考えると、なるほどと納得できる。

 ステージで自分の演奏、音を完璧にコントロールするピエールの姿から容易に想像できるが、アメリカのギター製作家に話を聞くと、多くの人が「ピエールは気難しいからなぁ」という。2001年に来日したとき、ライブ後に少し彼と話す機会があったが、気難しさなど感じさせぬ、実にフランクな人柄だった。もちろん、一緒に仕事をするとなると、別だろうが・・・。

 2004年には、サンフランシスコを拠点に活動をしているブライアン・ゴアの呼びかけで、クラシック・ギタリスト兼作曲家のアンドリュー・ヨークなどを交えて、「インターナショナル・ギター・ナイト」と称したツアーをおこなっている。それぞれが、ユニークな演奏スタイルを持つテクニシャンぞろいだけに、面白い仕上がりとなっているようだ。ただ、ピエールはこの頃から、メインギターを変更しており、ライブ音源などはピックアップの音色が今ひとつの仕上がりなのが残念だ。
 最新作も素晴らしい演奏だが、個人的には、以前のギターの音色の方がしっくりくるように感じてしまう。よい悪いではなく、あくまでも好みの問題ではあるが・・・。ただ、ひとつところにとどまらず、新しいスタイルにも挑戦し続けているピエールの今後からは、やはり目を離すことはできない。

April 27, 2006

●南 佳孝: 摩天楼のヒロイン

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南 佳孝 (vo, g, p)
矢野 誠 (p, key)
林 立夫 (ds)
小原 礼 (b)
細野 晴臣 (b)
鈴木 茂 (g)
駒沢 裕城 (dobro, steel g)
松本 隆 (per, arr)

 中学生の頃、歌謡曲以外の音楽映像を唯一流していたのが、地元のTVK(テレビ神奈川)だった。川村尚が進行する洋楽のPVを流していた『ポップス・イン・ピクチャー』と、南佳孝が司会をしていた『ファンキー・トマト』というのが双璧の音楽番組。ファンキー・トマトでは、アシスタントに売り出したばかりの竹内まりあがついていた。湘南地方の番組らしく、サーフィンのコーナーがあったりと、当時の若者文化をフィーチャーしたものだったが、毎回、番組の最後に、南佳孝が弾き語りで1曲歌うのがとても気に入っていた。シンプルな編成で、パーカッションがついたり、キーボードのサポートがあったり、時にはラジという女性シンガーとのデュエットもあった。
 ちょうど、洋楽でもAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)と呼ばれるジャンルが出始め、ボズ・スキャッグスやボビー・コールドウェルなどがこのスタイルをリードしていた。邦楽はというと、フォークからニューミュージックへと移行している段階で、荒井由美(ちょうど結婚をして松任谷由美になったようなタイミング)や中島みゆきなどが、中心となって活動していた。そんな中、南佳孝はとても都会的なセンスで、独特の雰囲気を持っていた。それが、中学生や高校生の時期にはとてもかっこよく映り、大人の雰囲気の香りを楽しんだものだ。

 このアルバムのサポートメンバーを見ればわかるが、元はっぴいえんどの3人が要となっている。特に、松本隆は、本作がプロデューサーとして取り組んだ最初の作品である。その後、太田裕美を初め松田聖子などに数々の詞を提供し、ヒットメーカーとして大活躍することになるのは周知のことと思う。

 LPでの発売時点では、A面がHero Side、B面はHeroin Sideという構成だった。歌詞やアレンジも物語性を非常に意識しており、舞台上での演技を見ているかのように感じさせる仕上がりが面白い。ジャリッとしたした感触を聞かせるギターの音も新鮮で、決して密ではない音空間なのに、隙間を感じさせないのは不思議だ。

 その後、「モンロー・ウォーク」や「スローなブギにしてくれ」などで、メジャーヒットを飛ばすが、この人の持ち味は、弾き語りなどのシンプルなスタイルにあるような気がする。ただ、音を積み上げていくコンセプトで作り上げたアルバム『冒険王』は、別方向のものながらとてもいい。これは、いずれまた取り上げてみたい。

 2000年以降は、ボサノバの曲を演奏したりと、いい意味で力を抜きながらお気に入りのスタイルの音楽をやっているように感じる。今でも、湘南に拠点を置き、海の匂いを感じさせる南佳孝。一度は、生で演奏を見てみたいアーティストの一人だ。

April 26, 2006

●Bartok: Piano Concertos Nos. 1&2

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Maurizio Pollini (p)
Claudio Abbado (cond)
Chicago Symphony Orchestra

 バロック音楽を代表するバッハなどは、その旋律法などが数学的見地からも興味深い対象(ホフスタッターの名著『ゲーデル・エッシャー・バッハ』は一世を風靡した)であったため、時折聴くこともあったが、近現代物となると難解なイメージがどうしても強く、避けて通ってきた。

 大学時代、友人のY君は現代音楽に非常に精通しており、武満徹を初めとした現代音楽のCDのコレクションはなかなかのものだった。ジョン・ケージの作品などをはじめ、現代音楽の素晴らしさについて熱弁をふるったY君だが、私のほうは、「音楽」というイメージと現代音楽の作品が結びつかず、なんとなく気にはなっていたものの、積極的に手を伸ばそうという対象ではなかった。その彼が、あるとき「バルトークはいいよ」といって推薦してくれたのが、このバルトークのピアノ協奏曲第1番、第2番である。やはり、あまり期待もせずに、聞かせてもらったのだが、それまでの「近現代もの=難解」というイメージを払拭する、すばらしい演奏だった。
 クラシックの場合、同じ曲でも指揮者やソリスト、オーケストラが違えば当然違った演奏に仕上がる。「誰が指揮した、どこのオケの、いつの録音がいい」などと、マニアは言うわけであるが、残念ながら、私はそこまでいろいろと聴き込んでいるわけではない。ただ、本作に関しては、バルトークの楽曲とポリーニのピアノが、すばらしくマッチしていることは間違いない。

 弦を極力追いやり、管楽器を前面に出した曲の構成は、一般的なオーケストラ演奏とはイメージをかなり違うものにしている。非常に硬質で、時折パーカッシブな要素も交えたポリーニのピアノは、管楽器の中に、切り込んでいくかのように鋭い。第2番の第2楽章には、唯一といってよいくらいだが、弦楽を前に出した主題が演奏される。ここでも、「弱音器をつけて、ビヴィブラートをかけずに」と指定されているため、普通とは違う、不思議な浮遊感を感じさせる弦の響きとなっている。
 音階、和声によるものだろうが、楽曲の展開なども含め、現代のジャズに通ずる要素を強く感じる。特に、ヨーロッパ系のピアノもの、それもリリカルではない演奏をするジャズ・ピアニストは、バルトークの影響を何らかの形で受けているのかもしれない。

 ジャズのアルバム全体を一つの作品として聴くことを考えれば、バルトークの曲はさほど抵抗無く聞くことができるだろう。緻密なつみあげをしながら、難解なものとはなっていないこの曲などは、近現代のクラシックを聴くための導入作品としてもよいかもしれない。

 今や、クラシック界を代表するアバドとポリーニ。若かりし頃のジャケット写真がほほえましい。

April 25, 2006

●Egberto Gismonti: Infancia

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Egberto Gismonti (p, g)
Nando Carneiro (key, g)
Zeca Assumpcao (b)
Jacques Morelenbaum (cello)

 これまでに見たライブのうち、3本の指に入るほどすごかったのが、1991年6月、ブルーノート東京で見たエグベルト・ジスモンティのライブだった。80年代には来日ソロコンサートもおこなっていたジスモンティだが、雑誌のインタビューによると、日本にはいい印象が無く、来日はしたくないという話しが伝わっていた。そんな中、本作をリリースした直後に、同じ編成の4人(まったく同一メンバーだったかどうかは覚えていない)で、コンサートホールではなく、小さなスペースでのライブ。彼の演奏を間近に見ることができたのは、本当にラッキーだった。ギターのソロ、ピアノソロ、4人でのアンサンブルなど、とてもバラエティに富んだ内容だったが、特に愛用の10弦ギターを弾いているときの、すさまじいばかりの集中力と、ひしひしと伝わってくる緊張感は忘れがたいものだった。前から2番目くらいの席で、ステージ上のジスモンティをわずかに見上げるような位置から見ていたのだが、やや逆光気味の照明に、飛び散る汗がキラキラと見えた。聴くものに息をすることすら許さない、といわんばかりの迫力だった。

 ギター製作のためにアメリカに渡ったとき、たまたまサンフランシスコのホールでジスモンティのコンサートがあった。まだ、向こうに着いたばかりで自分の車も無く、友達に頼んで移動をするような状況だったし、「さすが、サンフランシスコ。ジスモンティのライブもしょっちゅうあるんだ。」と勝手に思い込み、次の機会でいいやと、行かずにいた。もちろん、彼のコンサートは頻繁にあるわけではなく、結局、アメリカ滞在中に、彼の演奏を見るチャンスには恵まれなかった。

 ジスモンティの名前を初めて聞いたのは、「Frevo」という曲の作曲者としてであった。スーパー・ギター・トリオのライブでは、マクラフリンとパコのデュオで必ずといってよいほど演奏された曲だが、とても美しいメロディラインが印象的で、最も好きな曲のひとつだ。この曲をたどりつつ、ジスモンティの作品をどんどんと聴き始め、気がつくと、彼の音楽にどっぷりと首まで浸かるような状態になってしまった。ブラジル出身の彼は、幼い頃からクラシック・ピアノを習い、その後、パリに渡り、管弦楽法と作曲を勉強したという。ブラジルの伝統的な音楽をベースとしつつも、西洋の音楽手法を融合させ、独自の音楽を築いていく。

 クラシック、ジャズそしてブラジルの伝統音楽のショーロやサンバ、ボサノバ。さまざまな要素が見え隠れするジスモンティの曲は、クラシック・ギタリストにも積極的にレパートリーとして取り上げられている。ブラジル人としての血を根底に持ち続けつつも、時にはシリアスに、そして時にはユーモアを交えながら、ジャンルにとらわれないジスモンティが作り出す音楽世界。彼のパフォーマンスを再び目にする機会が訪れることを切に願う。

April 24, 2006

●Bruce Cockburn: Salt, Sun and Time

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Bruce Cockburn (vo. g)
Eugene Martynec (g, key)
Jack Zaza (cl)

 カナダのシンガー・ソング・ライターというと、ゴードン・ライトフット、ニール・ヤングやジョニ・ミッチェルといった名前がすぐに思い浮かぶ。あるとき、カナダの女性ギター製作家、リンダ・マンザーが「カナダのカリスマ的シンガー・ソング・ライターのブルース・コバーン」にギターを製作した時に、どれだけ興奮したかということをインタビューで述べているのを読んだことがあった。「製作家がお気に入りとあらば、これは聴かずばなるまい!」と探してみたものの、なかなか見当たらない。結局、最初に手に入れたのはアメリカ滞在中、いつものカリフォルニア大学バークレー校そばの中古CD屋だった。ところが、エレクトリック主体であまりパッとしない演奏がずっと続く。「こんなもんかぁ」とがっかりしつつ、ブルースのことは忘れてしまった。

 日本に戻り、いろいろと調べると、アコースティック・ギターの第一人者中川イサト氏が初期のブルース・コバーンの影響を受け、当時、出版したギターの楽譜集にも何曲か取り上げたとのこと。もう一度聴いてみようと思い、探し当てたのが本作だった。ほとんどギターとボーカルのみの構成ながら、ブルースの音楽世界が目の前いっぱいに広がるような感覚はなんなのだろう。敬虔なクリスチャンでもあるブルースは、デビュー当初から70年代終わりくらいまでは、非常に宗教色の強い歌詞を書いている。無神論者の私にとって、信仰からくるものを理解するのは難しいが、美しいメロディと朴訥とした声のバランスの妙は、歌詞の理解とは別の次元で、心に響いてくるものがある。80年代に入ると、キリスト教色は薄まり、よりロック色の強い音楽へと向うのだが、政治的なメッセージを歌に込めるようになっていく。

 時折オープンチューニングを用いる、ブルースのギタースタイルは独特のもので、北米東海岸の湿度が高く、しっとりした空気と、彼が初期の頃に愛用していたカナダのジーン・ラリビー製作のギターの音がぴったりと合う。倍音がすっきり整理され、重心の低い音は、ジャズ・テイストを含んだフレーズをいっそう際立たせるものだ。ギターのラインがボーカルとハモる構成など、比類のないほどすばらしい。


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 ブルースの最近の動向を調べてみると、昨年、ギターのインスト・アルバムをリリースしたことを知った。ソングリストを見ると、初期から毎作数曲ずつ入れていたインストものを、ギターソロで演奏しているようである。エレクトリックよりは、アコースティック・ギターの名手として活躍して欲しいと思っていただけに、これは嬉しい情報だ。さっそく、入手しなければ・・・。