●NEWS●

アメリカを代表するギター製作家Ervin Somogyi氏が、8年間以上の年月をかけてギター製作についてまとめた本を2009年7月に刊行することになりました。『The Responsive Guitar』『Making the Responsive Guitar』の2冊で、Somogyi氏のHPより購入が可能です。従来のハウツー本とは異なり、具体的な作業についての言及のみならず、ギターを製作する上で理解しておくべき原理原則などを平易な表現でまとめた本書は、他に類を見ないものとなっています。著者のコメントにも「次世代の製作家たちにとってバイブルのようなものとなるだろう」とあるように、ギター製作に関わる人にはぜひとも読んでもらいたい本です。なお本書は全編英語のみですのでご注意ください。
またSomogyi氏自身のナレーションによるプロモーションビデオがYouTubeに公開されていますのであわせてご覧ください。

Ken Oya Acoustic Guitarsの音は以下のCDでお聴きいただくことができます。

伊藤賢一さん
最新作『かざぐるま』ではModel-Jを、3rdアルバム『海流』ではModel-FとModel-Jにて演奏されております。

竹内いちろさん
1stアルバム『竹内いちろ』で全曲Model-F(12Fjoint仕様)を使っていただいております。

押尾コータローさん
2008/1/1リリースの『Nature Spirit』に収録されている「Christmas Rose」でModel-Jを弾いていただいています。

April 23, 2006

●Ralph Towner: Solo Concert

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Ralph Towner (g)

 大雑把に言って、ギターを弾くのに2つのスタイルがある。一つは、フラットピックを使う奏法。もう一つは、フィンガースタイルと呼ぶ指弾きである。指で弾く場合、爪をどのくらい伸ばしてどう使うかによって、音が変わってくる。爪を使う割合が増えれば、輪郭のたった硬質な音となるし、指の肉の部分を主に使えば、タッチはソフトで芯のある音となる。ナイロン弦は、スティール弦に比べて柔らかいため、ナイロン弦を主に使う人はスティール弦のギターを弾くと爪を痛めてしまうことが多い。そのため、両方を併用する人がごくまれである。

 ラルフは、ナイロン弦での演奏が中心だが、スティール弦、それも弦の張力が強い12弦ギターを併用する、非常に珍しいギタリストである。場合によっては、1曲ごとにギターを持ちかえ、ナイロン弦とスティールの12弦を交互に弾くというのは、普通では考えられないことだが、彼はいとも簡単にやってのけている。

 繊細な音作りを得意とするECMレーベルの録音で、コンサートのライブ録音とは思えないほどクリアーな音にはビックリさせられる。ジャケットの写真を見ると、ブリッジとネックの付け根をそれぞれ狙ったマイクのセット(ノイマンのU87と思えるラージダイアフラムのセットと、AKG451スタイルの小径ダイアフラムのセットを併用しているので、計4本のマイクを使用)、少し離してアンビエントマイクを1本セットしている。さすがに、レコーディングを重視したセッティングで、コンサートでの見栄えは二の次にしているところが、いかにもECMらしい。

 ラルフの演奏を最初に聞いたのは、彼がソロ活動と並行して演奏活動をおこなっているオレゴンというグループでの演奏。ラリー・コリエルとの共演盤、『The Restful Mind』である。オレゴンは、ラルフとタブラ、コンガ奏者のコリン・ウォルコットを中心としたユニットで、インド音楽などの影響も取り入れた、エスニックテイストのある、独特の音楽世界を繰り広げている。残念なことに、コリンは後に事故で他界してしまうが、その後も、メンバーを替え、現在も活動を続けている。

 ソロ演奏では、クラシカルな要素と、ジャズの即興的な要素を非常にうまくミックスしている。緻密な構成を感じさせる一方で、自由奔放に展開されるパッセージも織り交ぜ、最初から最後まで聴く者を惹きつけてやまない。学者然としたその風貌にマッチした、知的な香りのする音楽がなんとも心地よいものだ。

April 22, 2006

●Mark O'Connor: Markology

MarkO'connor_Markology.jpg

Mark O'Connor (g)
David Grisman (mandolin)
Tony Rice (g)
Bill Amatneek (b)
Sam Bush (mandolin)
Dan Crary (g)

 ギターが主役の音楽でも、ほとんど聴かずに来たジャンルがブルーグラスである。定番のドク・ワトソンやトニー・ライスなどは聴くことは聴いたのだが、どうも自分の中に響いてくるものを感じなかったからだ。ギタリストにはテクニシャンがそろい、早弾きもある。普通であれば、飛びつくようなものなのだが・・・。

 マーク・オコナーは実は、フィドル(ヴァイオリン)のトップ・プレイヤーである。しかし、私が彼の名前を聞いたのは、ギタリストとしての評判が最初だった。私が修行をしたギター製作家Ervin Somogyi氏のギターを使ったこともあるという話しだった。Ervinのギターは、その豊かな倍音と繊細な響きから、フィンガースタイルと呼ばれる指弾きのインスト曲を演奏するプレイヤーが愛用するケースが多い。フラット・ピッキングで、それもハードなタッチで弾くブルーグラスのプレイヤーがどのように使いこなしているか、興味津々だったのだ。CDショップを回って手に入れた最初のアルバムが、『Stone from Which the Arch Was Made』。家に帰って、プレイヤーにかけてみてビックリ。前面に出ているのはフィドルだ。改めてライナーをチェックすると、マーク・オコナー(フィドル)とあるではないか。おまけに曲はコンテンポラリ・ブルーグラスというさらに馴染みのないスタイル。すっかり当てが外れた気分になってしまった。(注:Ervinによると、このアルバムのレコーディングで彼のギターを使用していたということなので、近いうちにこのアルバムもじっくり聴き直してみたい。.)

 ギター製作の修行でアメリカに滞在中、休みの日曜には車で10分くらいのバークレーの中心街に出るのがいつものことだった。そこで、中古CD屋と古本屋を回りながら、気に入ったものを探すのが、なんとも楽しい時間なのである。そのとき見つけたのがこのアルバム。ジャケットにもギターの絵があるので、これこそが、求めていたギター・アルバムに違いないと買って帰った。工房の戻り、さっそく聞いてい見ると、のっけからはじけるようなギターの音。当たりだ。
 このアルバムが録音された頃、マンドリンのデヴィッド・グリスマンはDAWGという新しい音楽のスタイルを作りつつあった。従来のブルーグラスにフォークやジャズを融合させたものである。当然、本作にもその影響がおよび、マークの弾くリードラインはストレートなブルーグラスのフレーズとはまったく違い、ジャズテイストが色濃い。これが、「いい!」と思った一番の要因であろう。ストレートアヘッドなブルーグラス・アルバムとはいえないかもしれないが、私にとっては一押しのギター演奏である。

 このweblogのために、ジャケット写真を探して初めて気がついたこと。手元にあるアルバムにはマークのサインが入っていたのである。ジャケットデザインにある、ギターの輪郭線と、文字のペンによる線がほとんど同じだったので、てっきりこういうデザインのものだと思っていたのだが・・・。1978年のレコーディングは、バークレーでおこなわれたとクレジットされているので、中古CD屋に彼のサインアルバムがあっても不思議ではないのかもしれない。とはいえ、買ったのは録音されてから20年以上経ってからではあったが。

 天才フィドルプレイヤーとして登場して、最初のアルバムを録音したのが、12歳のとき。1961年生まれの彼が、本作を録音したときは、まだ16歳。その、恐ろしいまでの才能には、ただただ脱帽である。いい演奏に年齢は関係ない。

April 21, 2006

●Keith Jarrett: My Song

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Keith Jarrett (p)
Jan Garbarek (ts, ss)
Palle Danielsson (b)
Jon Christensen (ds)

 新しい音楽を聴き始めるきっかけは、些細なことが多い。FM東京(現在のTokyo FM)の夜11時代の番組で、某ウイスキーメーカーがスポンサーだった番組があった。その番組の中で流れるCMで、「・・・・暖炉の前に腰掛ける・・・・キース・ジャレットのカントリーを聞きながら(BGMにこの曲が流れている)、グラスに○○ウイスキーを注ぐ。(ガラスがカランという効果音)・・・」というナレーションがあった。思い描くイメージにピタリとこの曲がはまり、おしゃれな大人の時間をうらやましくも思ったものだ。そのCMが、このアルバムへと導いてくれたのだった。

 クラシックやジャスでは、名門レーベルというものが存在し、そのレーベルごとに、音作りを含めた強い個性がある。ジャズのレーベルで一番好きだったのが、このアルバムをリリースしているECMというドイツのレーベルだ。1969年創立のECMは老舗と呼ぶにはまだ歴史が浅いが、マンフレート・アイヒャーというカリスマ性のある創立者が、プロデューサーとして君臨し、アーティストと喧々諤々の論争をしながら、作品製作をしていく様子は、数々の伝説を生んだほどだ。水彩画のような透明感のある知的なECMサウンドは、ヨーロッパ・ジャズの一つのシンボル的存在として、アメリカのジャズと対比することができよう。マンフレートはギターものに対する思い入れも強く、ラルフ・タウナー、ジョン・アバークロンビー、(初期の)パット・メセニーを初めとして、数々の名作を世に出してきた。

 このアルバムを録音する1年ほど前に、キースは5年間活動を続けたレギュラー・クァルテットを解散し、かつて、同じECMで『ビロンギング』を録音したメンバーを再び集め、レコーディングに入った。インプロビゼーションによって繰り広げられる独特のソロ・ピアノの世界をすでに確立してしまったキースにとって、新しいメンバーで、別の方向へと向う演奏をすることは必然だったのかもしれない。キース以外はいずれも北欧出身の実力派メンバー。特に、サックスのヤン・ガルバレクはECMレーベルでのセッションで、数々の名演を残している。ソロでは自由奔放に弾いているキースも、ヤンのサックスをうまくサポートしているのが印象に残る。ベースにあるのはリラックスしたムードだが、時折激しく音をぶつけ合い、きらりと光る緊張感あふれるプレイも随所に見え隠れする。

 暖炉の前で、ロッキングチェアに腰を下ろして、ウイスキーグラスを片手にこのアルバムを聴きたいという思いは、まだ、かなっていない。

April 20, 2006

●Donovan: Live in Japan

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Donovan (vo. g)

 ドノヴァンは、60年代中頃に注目を浴びるようになったスコットランド出身のシンガーソングライター。彼に少し先立ってデビューを脚光を浴びていたボブ・ディランと何かと比較される存在であった。「アメリカのディランに対する、イギリスの回答」と、なにやら国を代表する存在にまで祭り上げられていたこともあったようだが、スタイルはまったく違うように思う。直情的なディランに対し、ドノヴァンは叙情的で、楽曲は牧歌的な雰囲気の漂うものも多い。一時期、ミッキー・モストプロデュースのもと、サイケデリックな方向へと歩み、『サンシャイン・スーパーマン』等のヒットを飛ばしたことjもあった。ロック色が強くなった頃は、レッド・ツェッペリンのメンバーや、ジェフ・ベック・グループのメンバーとレコーディングをすることもあった。しかし、シンプルなアコースティック・スタイルこそがこの人の真骨頂だと思う。

 ドノヴァンが、何よりも強く印象に残っていたのは、不思議なギターを持っていたからだ。このアルバムのジャケットでわかるように、サウンドホールは三日月型、真っ黒なボディに星がちりばめられたデザイン。一度見たら忘れられないものだ。
クラシック・ギターの世界では、いわゆる手工品と呼ばれる個人製作家ものがハイエンドのギターとして、普通に存在しているが、不思議とスティール弦では、個人製作家のものは見当たらず、楽器として評価が高かったのは、一部のメーカーのものだった。その中で、唯一、個人製作家として評価されていたのが、ドノヴァンのこの楽器などを製作した、イギリスのトニー・ゼマティスである。彼は、エレキ、アコースティック・ギターの両方を製作し、60年代半ばからギター製作家としての評価が高まり、イギリスのミュージシャンを中心に、彼の楽器を愛用するプロのプレイヤーが増えていった。デザインも含め、非常にユニークなギターで、今でもワンオフものとして市場での価値も高い。

 このweblogで紹介するものは、普段工房でかけている音源からというのが原則だが、このアルバムは、残念なことにCD化がされていない。それどころか、LPでリリースされたのも日本国内だけという、貴重なもののようだ。1972年の東京と大阪での公演から選曲されているが、ギター一本でヴォーカルとハーモニカのみ。とてもシンプルなサウンドである。曲によっては、ケルト音楽の影響が強く出ているものもある。時として、ディランのようにメッセージ性の強い歌詞もあるが、決して怒鳴るように訴えるのではなく、あくまでもきれいなメロディに載せて、切々と歌いかけてくる。ギターの演奏面でも、オープン・ハイ・コードと呼ばれる、開放弦とハイポジションを混ぜた音使いなどが時折あり、透明感のある歌声に実によくマッチしている。

 70年代の後半頃から、だんだんと表に出ての活動が少なくなり、ほとんど活動休止状態になっていたが、1996年には久しぶりのアコースティック・スタイルの新作『Sutras』を発表。その後も、リリースの間隔は長いものの、コンスタントの活動をしているようである。
 今年に入ってから、Try for the Sun: The Journey of Donovanという集大成的なCD3枚+DVDというボックスセットが発売されたり、5月には昔のライブ盤がリリース予定など、嬉しい動きもある。英国BBC放送では、今年の2月から3月にかけて、FOLK BRITANNIA SEASONというシリーズ番組で、1972年のライブ映像を放映している。貴重な映像の数々をアーカイブに持っているBBCならではだが、日本でもぜひ放送してもらいたいものだ。

April 19, 2006

●井上 陽水: II センチメンタル

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井上 陽水 (vo, g)
星 勝 (arr, g,)
安田 裕美 (g)
矢島 賢 (g)
竹部 秀明 (b)
高中 正義 (b)
稲葉 国光 (b)
田中 清司 (ds)
深町 純 (arr, p, key)
本田 竹廣 (p)
飯吉 馨 (p)

 ギターの入った音楽に没頭するようになったのは、井上陽水のアルバムを聞いてからだった。それ以前に、ギターに関心を持ったことはあったっけと、思い起こしてみると、小学校中学年の頃にさかのぼる。母親がある日、突然(のように私には思えた)ギターを買ってきたのである。たしかFujiというブランドのクラシックギターだった。
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 それと、多少前後したかもしれないが、一枚のレコードが我が家にやってきた。森進一の『影を慕いて』。古賀メロディーを若き森進一が歌い上げているものである。つまり、演歌のギターが、一番最初に原体験として刷り込まれたのだった。それでは、家にあったギターで演歌ギターの練習を始めたかというと、そうではなかった。とりあえず、手元にあったクラシックの教則本を見ながらポロポロと練習曲等を弾き始めただけだった。

 陽水の曲を初めて聴いたのもラジオからだった。『傘がない』というタイトルの曲は、まだ、学生運動や政治活動が盛んな時代に、彼女のところに行くのに傘がなくて困っているという内容の歌詞だった。当時は、社会問題について、関心がないこと自体が罪だと糾弾するような時代。その中にあって、社会で起こっていることよりも自分が傘を持っていないということを淡々と歌っていることが、あまりに衝撃的だった。
 一か月分のお小遣いを握り締め、レコード屋でシングル盤を買って、何度も何度も聞き返した。知り合いが、陽水のLPを持っているというので、借りてきてカセットに録音し、テープが伸びてしまうまで聴き続けた。当時、フォークのスターといえばまずあがったのがよしだたくろう。しかし、シンプルなコード進行に、直情的な歌詞をのせて、時には攻撃的に歌うたくろうは、がさつな感じがしてどうしても好きになれなかった。それに対し、陽水は、繊細で弱々しくはあったが、ディミニッシュコードなども用いたおしゃれなコード展開で、ギターのアレンジも秀逸、心の弱い部分を歌う独特の世界観に強い共感を覚えた。楽譜集を買ってきて、載っている曲を片っ端から練習したことは言うまでもない。

 このアルバムは、陽水名義でリリースした2作目。歌を邪魔せず、かといってきちんと存在感のあるギターのアレンジが実にすばらしい。陽水の歌声は、現在に比べるとはるかに繊細で、その歌詞から伝わってくる、今にも壊れてしまいそうな世界とぴったり合っている。陽水はある時期以降、カミングアウトをして、自ら屈折した部分を堂々と出すようになったが、この当時は、屈折したところを、自分でも疑問を感じながら、気持ちに正直に表現せずにはいられないという雰囲気が伝わってくる。歌詞は時として不条理なまでもの情景を述べる。『東へ西へ』での、”・・・電車は今日もすし詰め、(中略) 床に倒れた老婆が笑う・・・・”といった内容も、さらりと歌いながら、歌われているものはすさまじいばかりだ。当時は考えも及ばなかったが、今、改めてこの歌詞を読むと、まるでつげ義春のマンガにでも出てきそうな不条理の世界がイメージされるのは私だけだろうか。

 この頃のアルバムは、参加ミュージシャンのクレジットを見るのも楽しみのひとつ。星勝は元モップス(鈴木ヒロミツがボーカルをしていたグループ)で、陽水の初期からアレンジ全般を手がけている。その関係は現在でも続いているから、30年以上の長い関係というわけだ。リリースされたのが1972年だということを考えると、高中正義は成毛滋(当時は、グレコのギターを買うと、成毛滋のロックギター教則カセットか、竹田和夫のブルースギター教則カセットがついていたのが懐かしい)率いるフライド・エッグにベーシストとして参加していた時代なので、ギターではなくベースで参加しているのもおかしくない。深町純はその後、オールスターズというグループを率いて『オン・ザ・ムーブ』という名曲をヒットさせるし、本田竹廣(残念なことに、つい最近亡くなられた)は、フュージョンブームの中で、日本の旗頭となるべくネイティブ・サンを結成して一世を風靡する。
 これだけの実力派が脇を固めているので、やたら音を重ねているのではないのに、必要な音が必要な空間を満たしている。シンプルなスタイルの音楽が、ストレートに心に響く。