●NEWS●

アメリカを代表するギター製作家Ervin Somogyi氏が、8年間以上の年月をかけてギター製作についてまとめた本を2009年7月に刊行することになりました。『The Responsive Guitar』『Making the Responsive Guitar』の2冊で、Somogyi氏のHPより購入が可能です。従来のハウツー本とは異なり、具体的な作業についての言及のみならず、ギターを製作する上で理解しておくべき原理原則などを平易な表現でまとめた本書は、他に類を見ないものとなっています。著者のコメントにも「次世代の製作家たちにとってバイブルのようなものとなるだろう」とあるように、ギター製作に関わる人にはぜひとも読んでもらいたい本です。なお本書は全編英語のみですのでご注意ください。
またSomogyi氏自身のナレーションによるプロモーションビデオがYouTubeに公開されていますのであわせてご覧ください。

Ken Oya Acoustic Guitarsの音は以下のCDでお聴きいただくことができます。

伊藤賢一さん
最新作『かざぐるま』ではModel-Jを、3rdアルバム『海流』ではModel-FとModel-Jにて演奏されております。

竹内いちろさん
1stアルバム『竹内いちろ』で全曲Model-F(12Fjoint仕様)を使っていただいております。

押尾コータローさん
2008/1/1リリースの『Nature Spirit』に収録されている「Christmas Rose」でModel-Jを弾いていただいています。

July 03, 2006

●Steve Khan: Evidence

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Steve Khan (g)

 70~80年代初頭のフュージョン・シーンを語る上で、はずせないのがアリスタ・レコードのノーヴァス(novus)・レーベルである。アリスタは、以前紹介したラリー・コリエルの『Tributaries』をはじめ、ブレッカー・ブラザースや、STEPS(のちにSTEPS AHEADとユニット名を変更)などで活躍をすることになるマイク・マイニエリなど、重要なプレイヤーが数多くの作品をリリースしていたことで知られる。

 70年代からニューヨークを拠点に、数々のセッションをこなし、実力派ミュージシャンとして評判が高かったスティーヴ・カーンは1975年から76年にかけてラリー・コリエルとギター・デュオのライブ・ツアーをおこなう。ここで、ウェイン・ショーターやチック・コリアなどの曲をギター2本で即興的な要素を交えながら、白熱のセッションを繰り広げた。このユニットでは1976年録音の『Two For the Road』という名盤を残しているが、これはまた機会を改めて紹介したい。

 コリエルとのツアーを終え、スティーブはエレクトリック主体のリーダー作を3枚ほど発表するが、81年にリリースした本作では、アコースティック・ギターを前面に出しながら、コリエルとのデュオとは別軸の素晴らしい演奏を披露する。場合によっては、複数のアコースティック・ギターのみならず、エレクトリック・ギターも重ねた多重録音による演奏だが、メロディの美しさを追求したスティーヴのギタープレイ自体は、決して奇をてらったものではなくオーソドックスともいえるものなのだが、非常に緻密に作り上げられた楽曲は、これまでにない独自性の強いものである。

 個人的には、少し空間系のエフェクト処理が強いのが気になるが、ギター自体の音も素晴らしい。このとき、スティーヴが弾いていたのは、デヴィッド・ラッセル・ヤングが製作したギター。デヴィッドは60年代終わりから80年代初めにかけてアメリカ西海岸でギター製作をしていた伝説の人物である。その後、ギター製作からはなれ、ヴァイオリンの弓製作家として現在も活動している。たまたま縁があって、『アコースティック・ギター・マガジンVol.18』(リットーミュージック 2003年10月刊)の「幻と呼ばれたドレッドノート」という企画で、もう一人の伝説的なギター製作家、マーク・ホワイトブックとともに取り上げたとき、二人の製作家とそれぞれのギターについて記事を書く機会を得た。デヴィッドとはメールで連絡を取り、短いバイオグラフィーながら、事実を確認しながら執筆できた。

 ギター製作をする人の間では、デヴィッドは『The Steel Guitar Construction & Repair』(残念ながら、絶版になってしまっていて入手は難しいようである)という教科書を執筆したことでも良く知られている。スティール弦ギターの製作方法について書かれた最初の本であるが、今はギター製作を離れている伝説の人物とコンタクトが取れたことで、とても興奮したことを今でもよく覚えている。

 メロディを歌わせるためにスティーヴが選んだのは、ウェイン・ショーターやホレス・シルバー、セロニアス・モンクなどの楽曲。その中でも、モンクの曲を9つメドレーにしてトータル18分強に渡って繰り広げらるるラストの曲は、名演というより他にない素晴らしいものだ。

 残念なことに、このアルバムは現在入手が難しいようである。ただ、ネット上のmp3形式で楽曲を扱うサイトなどからダウンロードはできるようである。「Steve Khan Evidence」といったキーワードで検索すると見つかるだろう。但し、mp3は圧縮形式なので、オリジナルの音を再現できるわけではないことを認識しておく必要があるだろう。個人的には、mp3ではかなり音の密度が変わるという印象がある。
 ちなみに画像のジャケット写真は「Novus series '70」というシリーズ企画でリリースされたCDのもの。LPでリリースされたのは、中央の白い部分のデザインによるものだった。

July 02, 2006

●Tim Sparks: One String Leads to Another

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Tim Sparks (g)
Dean Magraw (g)


 アメリカにおいて、フィンガースタイルのギターソロ演奏では、毎年カンザス州ウィンフィールドで開かれるフィンガー・ピッキング・コンテストで優勝することが、最近は登竜門のようになっている。今回取り上げる、ティム・スパークスは1993年の優勝者。コンテストでは、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」をギターソロにアレンジしたものを演奏し、後に、CDとしても(コンテストでの演奏ではなく、スタジオ録音のもの)発表した。

 アメリカ東海岸のノースカロライナ生まれのティムは、もともとクラシック・ギターから勉強を始めたという。しかし、アートスクールを卒業する頃から、ジャズをはじめとするさまざまなジャンルの音楽に関心を示すようになる。彼の音楽の方向性を大きく変えたのは、地中海~東ヨーロッパ地域の音楽だろう。奨学金を得て、ポルトガルのファドやユダヤのクレズマーなどを吸収することで、複雑なポリリズム、独特のエスニックな音階を多用するスタイルが形作られていった。

 本作では、一曲のみサポートのギターが入っているが、基本はギターソロ。彼自身のコメントによれば、「前作まではチャイコフスキーやバルトーク、バルカンのフォーク音楽、中東の音楽、ジャズ、ケルトそしてラテンの色が濃いものだった。しかし、今回の作品では、自分のルーツとも言える、ノースカロライナの音楽に戻ってきた」とある。確かに、(アメリカナイズされたわれわれ日本人にとっても)アメリカ的なわかりやすく、耳なじみの良い曲が並ぶ。しかし、地中海に面する国々の音楽の影響は、そこかしこに見え隠れするのが面白い。

 ティムは、何度が来日している。2002年に中川イサト氏がハンガリーのギタリスト、シャンドラ・サボと一緒にティムを呼んだライブを見たが、同じギターソロ演奏ながら三人三様でとても面白く、楽しむことができた。ライブ後に、自分が製作したギターを試奏してもらい、コメントをもらったのだが、とても誠実に対応してもらったことを今でもよく覚えている。
 ギターを評価してもらうと、概してアメリカ人はその楽器のいいところを捉えて、コメントしてくれ、ネガティブなことをいうことは滅多にない。こちらとしては、ほめてもらうよりは、いま自分の楽器に何が足りないかをプロのプレイヤーの視点から捉えてもらいたいという気持ちが強かったので、「あえて、ネガティブなことを指摘してもらえると、これから楽器をよくしていくための足がかりになるから」と無理を言って、いろいろアドバイスをしてもらった。ライブで自分が弾いていた楽器と私の楽器の両方をかわるがわる弾き、「こっちの楽器はこうだけれど、こちらはああだ」と一つ一つ丁寧にコメントをしてくれる。そのコメントはとても知的で、的確なものだった。彼の暖かい対応には、今でも感謝している。

 一見複雑そうに感じる彼の音楽も、気がつけばメロディラインを口ずさむようになるほど耳に馴染んでいく。それは、メロディが歌っているからに他ならない。

June 25, 2006

●Toninho Horta: Durango Kid

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Toninho Horta (g, vo)

 トニーニョ・オルタを最初に見たときの印象は、心優しき巨漢というものだった。ジョイスのサポートで、前に出すぎず、かといって、しっかりとした存在感のあるギタープレイからは、歌い手をやさしく包み込むような力が感じられた。

 2度目に彼のライブを見たのは、ブラジル音楽演奏を聞かせるブラジルレストラン(確かサバス東京だったと思うが定かではない)での演奏。このときは、自身のグループを引き連れての演奏で、素晴らしいギター演奏と歌(ヴォイス)に魅了されてしまった。実は、こちらのライブでは、エレクトリックはヤマハのパシフィカ・シリーズのものを使用していたが、ガットギター(おそらくフラメンコモデルだったと思う)は、当時東京に工房を持っていた福岡氏のギターを使い始めたところだった。会場jに製作者が来ていて、ライブ途中で、トニーニョが「この素晴らしいギターを製作してくれた若き友人、福岡氏を紹介します」といっていたのを、今でもはっきりと覚えている。トニーニョは現在に至るまで、福岡ギターを愛用しているようである。
 このアルバムは、彼が福岡ギターに出会う前の作品なので、使用しているのは、コンデ・エルマノスというギターのようである。コンデは、フラメンコ・ギタリストのパコ・デ・ルシアの愛器としても知られている、スペインの有名な工房の作品である。

 トニーニョの素晴らしいところは、オリジナル、カバーを問わず、演奏する曲を完全に自分のものにしていることである。彼のアレンジによるギターと歌が始まると、周りの空気までもが柔らかいトニーニョの世界そのものであるかのように変わる。

 余談を一つ。私の年代にしては珍しいかもしれないが、これまでほとんどビートルズを聴かずに育ってきた。中学生ぐらいになり、洋楽を聴くようになったときには、ビートルズは時代遅れのような気がして手を伸ばさずにいて、結局そのままにしてしまったからだ。だから、有名な曲もほとんど知らない。このアルバムには「アクロス・ザ・ユニバース」という曲のカバーが収められている。いわずとしれた、レノン/マッカートニーという黄金コンビによる作品だ。恥ずかしながら、割合最近までこの曲はトニーニョのオリジナルだと信じて疑わなかった。あるとき、他の人のカバー演奏を聴いて、「やはり、トニーニョの曲でもメロディがきれいだから、誰かが歌詞をつけてカバーをしたんだ」と思い込んでいた。しかし、いろいろなところで、いろいろなアーティストがカバーしているのを耳にすると、さすがになんか変だなと感じて、調べてみたところ、ビートルズがオリジナルだということを初めて知った。
 一度、ちゃんとビートルズを聴かないといけないと思いつつも、まだ手を伸ばさずにいる。

 トニーニョの生まれたミナス(正式にはミナス・ジェライス州)はブラジルの中でも独特の音楽文化を持つ地域。トニーニョ以外にも、ミルトン・ナシメントをはじめとする、ミナスを代表するアーティストは数多い。パット・メセニーはトニーニョから多大な影響を受けたといっている。トニーニョは、1981年にメジャー・レーベルから初めてリリースしたアルバムでは、パットとの共演を果たしている。一方、パットはECMでの最後の作品『First Circle』(このアルバムをいずれ取り上げる予定)や、Geffenレーベルに移籍した後、『Still Life (talking)』から始まる、ワールドミュージック色の濃い作品群からは、明らかにブラジル音楽、おそらくはトニーニョから受けた影響が聞き取れる。

 プレイヤーズ・プレイヤーという称号がふさわしいトニーニョ。彼が音楽に向っている姿勢そのものは厳しいものだが、あふれ出てくる音には、人の気持ちを和らげる素敵なオーラに満ち溢れている。

June 18, 2006

●Pat Martino: Exit

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Pat Martino (g)
Gil Goldstein(p)
Richard Davis(b)
Hilly Hart(ds)

 パット・マルティーノとは思いのほか縁がなく、聴くようになったのはずいぶんあとになってからだ。ジャズ・フュージョンのギタリストを聴き始めるようになると、だんだんと彼らが持っているルーツをたどり、ウエス・モンゴメリなどのオーソドックスなスタイルのジャズ・ギターは割合聴いた。  ジャズ・ギターへと深く入っていくにつれ、当然のことながらパットの名前も耳にするようになり、気になってはいた。

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 ただ、最初に目にした彼の写真が、サングラスとヒゲがなんとも怪しい風貌で、「ウエスの後継者」といわれてもまったく信じることができなかった。それよりも、ロック界の奇人フランク・ザッパに通ずるようなイメージが植えつけられ、端正なギタープレイをするなどとは思いもよらなかった。はっきりとは覚えていないが、手にしていたギターも、ジャズ・ギタリストが通常使うアーチトップ(フルアコ)ではなく、ソリッドボディのものだったような気がする。いずれにせよ、ガンガンにひずませた音で弾いていてもおかしくなさそうな風貌だったのだ。

 あるとき、FMラジオから聞こえてきた「酒とバラの日々」に思わずはっとした。クリーントーンながら素晴らしいドライブ感。一体誰の演奏だろうと思って調べると、それがパット・マルティーノだった。あわてて、本作を手に入れて聴いてみた。リチャード・デイビスの渋いベースソロから始まる冒頭の曲は、若干フリーフォーム色がはいっているが、それ以外はほぼスタンダード曲が中心で、ギターを弾きまくるパットを堪能できる。
 パットのギターから思い浮かぶのが、“空間恐怖症”というイメージだ。音の無い空間の存在にガマンができず、隙間という隙間に音を埋め込んでいくかのごとく、ギターを弾いている。

 1980年頃に脳動脈瘤に倒れ、手術を行いなんとか回復するものの、その影響で、過去の記憶を失ってしまう。ギター演奏を再びおこなうことは不可能だろうとうわさをされたが、そんな声を払拭するかのように1987年には『The Return』を発表。以前にも増して、複雑さを増した独特のフレージングは、続けて発表されていく作品ごとに磨きをかけられていく。見事に再起した彼の演奏を聴くと、プレイヤーの音楽スタイルは、単に脳に記憶されているものではないということを思い知らされる。

 最新作では、ウエス・モンゴメリー・トリビュートというコンセプトでまとめたパット。ビバップからコンテンポラリーまで何でもこなせて、思わず人を唸らせるギタリストだろう。カリスマ性を持つ彼が放つオーラは、聴く者をどんどんと深い世界へと引きずり込んでいく。

June 15, 2006

●Joni Mitchell: Blue

JoniMitchell_blue.jpg

Joni Mitchell (vo, g, dulcimer, p)
Stephen Stills (b, g)
James Taylor (g)
Sneeky Pete (pedal-steel)
Russ Kunkel (ds)

 ギターをかっこよく弾く女性シンガー・ソング・ライターの草分けといえば、ジョニ・ミッチェルをあげずにはいられない。もちろん、それ以前にもジョーン・バエズをはじめとする、女性フォーク・シンガーは大勢いた。それでも、ジョニのかっこよさが際立っているのは、彼女のギター演奏スタイルとも関係がある。
 彼女が得意としていたのは、オープンチューニングを使ったもの。チューニングが一般のものとは違っているため、和音の響きが独特のものになる。ハイトーンの歌声に、ふわふわとした透明感のあるギターの音が絡み合っている心地よさ。

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 ジョニはカナダ生まれだが、東出身のシンガー・ソング・ライターは、結構ダルシマーを演奏する人が多い。以前取り上げたブルース・コバーンも弾いているし、女性ギター製作家として知られているリンダ・マンザーも、最初に作ったのはダルシマーのキットだったという。このマウンテン・ダルシマー(ハンマー・ダルシマーとは別の楽器)は別名アパラチアン・ダルシマーと呼ばれることもあることから、北米大陸東海岸のアパラチアン山脈地方では割合ポピュラーなものといえよう。
 アパラチアン山脈は、英国・アイルランド系の移民が多く、アメリカのルーツ的な音楽の源となった地域である。楽器自体のルーツはドイツ等といわれているが、1940年代頃、ジーン・リッチーがダルシマーを演奏するようになり、その後のフォーク・リヴァイバルの波に乗って、ポピュラーなものとなっていったようだ。
 日本では、なかなかお目にかかることは少ないが、われわれの世代では、「私は泣いています」のヒットで知られるリリィが『ダルシマー』というアルバムを出していて、その当時のライブで演奏していた記憶がある。

 初期の傑作として名高い本作だが、デビュー当初からジュディ・コリンズやCSN&Yなどをはじめ、数多くの楽曲を提供していることから、ソング・ライティングの質の高さも際立っている。ウッドストック・ロック・フェスティバルにむけては、CSN&Yにそのものズバリ「ウッドストック」という曲まで書いている。この当時は、彼らと活動をともにしていることが多く、古いライブ映像では、ライブにコーラスとして参加している姿を見ることもできる。フェスティバルにも同行する予定があったが、直後に自分のコンサートが控えていて、予定通り戻ってこれるかどうかがわからなかったので一緒に行かなかったという話も耳にしたことがある。

 シンプルなフォーク~ロックスタイルから、後にはジャコ・パストリアスなどをはじめとするジャズ・フュージョン界のトップ・プレイヤーとの共演など、新しい世界を広げつつも、その歌声とサウンドは、常にジョニらしさを感じさせるユニークなスタイルを貫いている。
2002年にはこれまでの集大成といえるセルフカバー集『Travelogue』を発表し、その後の目立った活動は停止している。ぜひとも、活動を再開して、今なお透明感を失っていない声と、素晴らしいギター演奏を披露してもらいたいものだ。